鉄路と生きる

【鉄路と生きる(5)】第1部 磐越西線 誘客へ異業種連携 駅を軸に地域活性化

2022/12/15 09:56

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鉄道を生かした観光誘客を話し合う平賀さん(左から2人目)ら、びゅう会津会のメンバー
鉄道を生かした観光誘客を話し合う平賀さん(左から2人目)ら、びゅう会津会のメンバー

 「冬の会津もいいね」。JR会津若松駅で企画列車から降り立った乗客が白い息を吐く。体を温めてもらおうと、観光団体の関係者らが地酒を振る舞う。今の季節、よく見られる光景だ。冬の観光を盛り上げようと、20年ほど前に始まった。

 磐越西線は昭和30年代から都市部と会津を結ぶ準急列車、急行列車が走り、昭和40年代には特急列車の運行が始まった。東京の玄関口となる上野駅から人々を運んだ。だが、車社会の進展やバブル経済の崩壊で乗客数は減少。特急列車は2003(平成15)年10月に定期運行を終えた。

 何とか乗客を増やし、観光を活性化できないか|。会津の観光団体などでつくる「びゅう会津会」は鉄道を軸にした誘客策に知恵を絞ってきた。

 びゅう会津会は1994年ごろ、会津若松市の観光施設や交通事業者によって始動し、宿泊施設が加わった。県内屈指の観光地だけに、互いに競争相手。業種によっては手を取り合うことが少なく、垣根を越えて連携する機会はほとんどなかった。「岐路に立つ鉄道をきっかけに、事業者同士が分け隔てなく意見を交わせる場ができた」。会長を務める平賀茂美さん(67)=原瀧・今昔亭総支配人=が意義を語る。

 発足当時、会津の観光は豪雪となる冬の受け皿が小さく、会津若松駅下車後の2次交通も不十分だった。「駅を中心に市内観光を充実させて、通年の集客を実現しよう」。互いの情報を共有し、戦略を幾度も話し合った。

 行政なども交え、鉄道を活用した冬の観光をPRするキャンペーンを展開した。地元名産のそばや日本酒を販売する催しを開き、「温かい会津の冬」の魅力を伝えた。2次交通の整備も進み、2001年7月、市内中心部の名所を回るまちなか周遊バス「ハイカラさん」の運行が始まった。鉄道利用者の重要な足の一つになっている。

 年間300万人を超えていた会津若松市の観光客入り込み数はバブル崩壊のあおりなどを受け、一時270万人台に低迷したが、再び300万人前後に回復した。多くの観光施設が冬期間にも店を開けるようになった。現在は新型コロナウイルスの影響が続くが、雪化粧する鶴ケ城をはじめ、会津の冬景色は観光を支える大切な地域資源だ。

 びゅう会津会の構成団体は現在、猪苗代町などの沿線にも広がる。取り組みを参考に、誘客を進めようとする動きが県内外で出ている。平賀さんは「冬に強い鉄道は会津の観光を支える大切なツール。時代に合った新たな誘客の在り方を探りたい」とアイデアを練る。

 隣県でも、鉄道を生かしたまちおこしに情熱を注ぐ人たちがいる。