鉄路と生きる

【鉄路と生きる(34)】第4部 水郡線 鉄道が支える青春 本数少なく活動に制約

2023/05/01 09:26

  • Facebookで共有
  • Twitterで共有
朝の通学時間帯は多くの高校生がJR水郡線を利用する=棚倉町・中豊駅
朝の通学時間帯は多くの高校生がJR水郡線を利用する=棚倉町・中豊駅

 久慈川に沿うように列車が走る。清流や田園地帯、青々とした山並みの風景が車窓に流れる。JR水郡線は豊かな自然に包まれながら、茨城県水戸市と福島県郡山市の約140キロを結ぶ。

 福島、茨城両県の主要都市をつなぐ路線だが、主に町村部を通る常陸大子(茨城県大子町)―磐城塙(福島県塙町)駅間、磐城塙―安積永盛(福島県郡山市)駅間はJR東日本が公表した利用者の少ない赤字路線に該当する。学生らにとって生活路線として欠かせないが、限られた運行本数のため不便も多い。増便、そして存続を―。沿線から声が上がる。

 矢祭町北部にある無人駅のJR南石井駅。日中は静かだが、朝夕は乗り降りする高校生らの姿が目立つ。棚倉町の修明高に通う藤田萌花さん(16)=2年=もその1人だ。父、兄、祖母との4人暮らし。祖母は高齢で、父と兄は働いている。車の送迎で家族に負担をかけないため、自分で通学できる高校を選んだ。定期代も白河市の高校に通うためのバスに比べて抑えられる。「鉄道のない日常は考えられない」と話す。

 だが、運行本数の少なさが悩みの種だ。毎朝午前7時18分発の列車を利用する。乗り遅れれば、次は2時間も待たなければならない。「だから、絶対に寝坊はできない」。切実な表情を浮かべる。

 硬式野球部のマネジャーとして汗を流す放課後も、活動の制約を余儀なくされる。夏季は午後7時過ぎまで練習する。マネジャーは後片付けもあるため、終了は午後8時ごろになる。だが、学校最寄りの中豊駅の終電は午後7時25分のため、早めに切り上げざるを得ない。多くの部員は保護者の送迎で対応しているのが実情だ。

 今春、1年生のマネジャーが入部した。後輩を残し、先に帰るのは心苦しいと感じる。「終電がもっと遅ければいいのだけど」

 かつて住民の通勤や通院、買い物などで利用された路線は、車の普及に伴い乗客数が減少の一途をたどる。2021(令和3)年度の1キロ当たりの1日平均乗客数は常陸大子―磐城塙駅間、磐城塙―安積永盛駅間とも千人未満で、特に常陸大子―磐城塙駅間は1987(昭和62)年度から8割減の139人にとどまる。両区間とも運行本数は2~3時間に1本と少ない。

 現在、利用者の多くは郡山市や棚倉町、石川町の高校、大学などに通う学生だ。修明高では昨年度、全校生徒334人のうち約3分の1が通学に利用した。JR東日本水戸支社は学校の年間日程を聞き取り、下校時間が通常と異なる定期試験などの際には利用しやすいように運行ダイヤを調整している。生徒は「朝夕など、利用者が多い時間帯だけでも本数を増やしてほしい」と利便性の向上を願う。

 鈴木憲治校長(54)は「いざという時に鉄道があるという安心感が、県南地方から郡山市の大学や専門学校への進学、さらに地元就職につながる」と路線の維持を訴える。

 他のローカル線と同様に、人口減少、車社会といった時代の波にさらされる水郡線。大正・昭和の時代には沿線の豊かな資源を運ぶ鉄路として隆盛を見せ、地域の産業発展に貢献した。


※JR水郡線 水戸―安積永盛(郡山市)駅間と、上菅谷駅(茨城県那珂市)で分岐し常陸太田駅(茨城県常陸太田市)までを結ぶ全45駅計147キロの地方交通線。列車は安積永盛駅以北の郡山駅まで乗り入れる。1897(明治30)年11月16日、「太田鉄道」として水戸―久慈川(後に廃止)駅間が開業し、事業譲渡や国有化を経て1934(昭和9)年12月4日、磐城棚倉(棚倉町)―川東(須賀川市)駅間の開業で全線開通した。全通前は水郡南線、水郡北線などと呼ばれた時期もあった。