【原町の介護老人保健施設 ヨッシーランド 2】救助 困難極める 泥、がれき一帯に 惨状に言葉失う

東日本大震災の大津波は南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」を容赦なく襲った。職員は懸命に利用者の避難・救助に当たったが、想定外の事態に困難を極めた。東京電力福島第一原発事故で度重なる再避難を余儀なくされても、行政に頼る時間はなく、自力で受け入れ先の確保に奔走した。(敬称略)
大津波警報発令から一時間後、駐車場に残っていた入所棟介護長の大井千加子(50)は海の異変に気付いた。防風林越しに水しぶきが上がった直後、黄緑色の幕のようなものが広がり、一瞬で砕けた。巨大な津波だった。付近の林や鉄塔をなぎ倒し、田畑を洗い流して施設に向かってきた。
施設にはまだ40~50人の利用者が残っていた。「走って。津波が来る」。大井は声を張り上げ、一刻も早く利用者を避難させるよう職員に指示すると、自らは高齢の女性を介護用ベッドごと押して懸命に逃げた。施設東側の畑にたどり着いた途端、ベッドの車輪が土に埋まり、前に進めなくなった。振り向くと施設は真っ黒な波にのみ込まれ、見えたのは屋根だけだった。直前まで一緒にいた職員や入所者の姿はなく、駐車場にあった多くの車が海水に浮かんでいた。
津波は大井の目前に迫った。「つかまれ。流されるぞ」。男性の声が聞こえ、ベッドにしがみついた瞬間、激流に巻き込まれた。すさまじい水圧だったが、懸命にこらえて女性を守った。
津波が引いた後、施設の周りは泥やがれきに覆われ、多くの人が埋まっていた。「助けて...」。利用者らしき人のうめき声が聞こえた。引き上げようとしても、泥まみれの体は重くて持ち上がらない。男性職員と2人でようやく助け出した。雪が舞い、風は冷たさを増していた。
「全滅です」。利用者に付き添ってテクノアカデミー浜【地図(1)】に移っていた事務長の小林敬一(61)は、駆け付けた女性職員からヨッシーランドが津波に襲われたことを聞いた。女性は目を真っ赤にして泣いていた。「まさか...」。血の気が引いた。全力で500メートルほど離れた施設へ走って向かった。
到着すると、何台もの車が施設の中に押し流され、クラクションが鳴り続けていた。がれきや泥の中に体の一部が見えた。あまりの惨状に言葉を失った。
「ここに人が...。生きているぞ」。職員が叫んだ。横転したワゴン車の後部座席に高齢者3人が閉じ込められていた。職員数人で1人ずつ助け出した。しかし、最後に引き上げた高齢者は、もう息をしていなかった。
「また津波が来る。戻って」。高台の畑にいた職員が叫んだ。事務長の小林や介護長の大井らは施設から離れるしかなかった。
◇ ◇
午後4時前後、ヨッシーランドの職員2人は東側に約400メートル離れた「ふりど循環器科医院」【地図(2)】に駆け込み、津波に巻き込まれた人の応急処置を依頼した。2人とも泥まみれで下着姿だった。院長の島国義(67)はヨッシーランドに急いだ。
ヨッシーランドでは消防署員が懸命の救助に当たっていた。23人を車で医院に運んだ後、お湯でぬらしたタオルで体の泥を拭き取り、津波に備えて患者を1階から2階に背負って移した。この間、1階ロビーにいた2人が息を引き取った。
◇ ◇
この夜、ヨッシーランドの拠点を市内原町区の大町病院【地図(3)】に移した。利用者は診察やけがの手当てを受けた後、迎えに来た家族と一緒に帰ったが、家族と連絡が付かない利用者も多く、職員は受け入れてくれる施設を探した。深夜までかけて利用者約50人を数カ所に振り分けたが、どこもヨッシーランドの利用者に人手を割く余裕はなかった。施設ごとに担当者を決め、翌日から介護に当たることにした。