【川俣・無防備の戸惑い1】防災計画に想定なし 国、県の「線引き」外

大型連休が明けて間もない8日、川俣町中央公民館で開かれた町議会全員協議会で、議員から町への要望が相次いだ。
「農地の除染を迅速に進めないと、作付けが間に合わない」
「農家に代替農地を提供できるように国に働き掛けてほしい」
昨年3月の東京電力福島第一原発事故から11日で1年2カ月がたつ。誰も予想できなかった難問が山積する。町民は先の見えない不安や、もどかしさを抱く。議員はその気持ちを協議会で訴えた。
翌9日、町長の古川道郎(67)、議長の新関善三(69)らは東京に出向き、町独自の農地除染への支援を政府に求めた。
■パトロール
中央公民館に隣接する保健センターの一室で、町総務課消防交通係長の佐々木弘幸(47)は、パソコンのキーボードをたたいた。画面には、山木屋地区を巡る防犯パトロール隊員の名簿などの資料が浮かんだ。
山木屋地区は双葉郡に接する町の南東部に位置し、原発事故の計画的避難区域とされている。住民約1250人は地区外の仮設住宅や借り上げ住宅などで暮らす。
パトロール隊の活動状況の把握は、佐々木の日課の1つとなっている。震災前には、考えられなかった業務だ。そもそも、町の地域防災計画に「原発」の文字はなかった。
■地震対応
昨年3月11日の東日本大震災で、川俣町役場周辺は震度6弱を観測した。
「こちらから逃げて、早く」。佐々木は町役場庁舎北側の通用口で、ひときわ大きな声を出した。庁舎は築50年近い鉄筋コンクリート2階建て。天井や壁の一部が崩れ、割れたガラスが散乱した。
町は地域防災計画に沿って、役場庁舎から100メートルほどの保健センターに災害対策本部を設置した。築十数年の鉄筋コンクリート平屋で、被害は壁やガラスの数カ所にひびが入った程度だった。非常用バッテリーで電源も確保できた。約190平方メートルの多目的ホールに机やいすが並べられ、100人近い町職員が慌ただしく出入りした。
住民の安否確認や被害調査が始まった。町内は全域で停電した。固定電話はもちろん、携帯電話もつながりにくい。町消防団幹部に配備していた肩掛けタイプの防災無線端末機が頼りだった。余震が続く中で、佐々木ら職員数人は無線基地局のある役場庁舎で情報を待った。
消防団の対応は素早かった。十分団合わせて約530人のうち400人余りが、それぞれの屯所に駆け付けた。「日和田地区で地滑りが発生」「瓦が歩道に落ちている。注意が必要」。分団長や団員の声が無線機から響く。
消防団の情報は災害対策本部に伝えられた。亀裂の入った道路、倒壊の恐れがある住宅、町内の避難所に身を寄せた住民...。ホワイトボードにびっしりと書き込まれた。
■兆候
町職員や消防団員は夜通しで活動した。被害確認が続く中、災害対策本部に置かれたテレビは、ある情報を伝え始めた。
「福島第一原発の半径3キロ以内の住民に避難指示」
「1号機で格納容器内の圧力を下げるためのベントの実施を発表」
福島第一原発は川俣町から阿武隈山地を越えた大熊、双葉の両町にまたがる。町役場からの距離は約47キロ。山木屋地区の町境からは約33キロの場所だった。川俣町にとって、原発の危機的な状況は、まだ「遠い所での出来事」にすぎなかった。
震災発生から一夜が明けようとした時だった。町役場の町長室にいた古川の携帯電話が鳴った。声の主は双葉町長、井戸川克隆(65)。「全町民を受け入れてほしい」。古川の表情が変わった。
◇ ◇
国や県の原子力防災対策は原発から半径10キロ程度までの範囲を重点に、具体的な計画を立てた。川俣町はその線引きから、はるか外側にある。事故の拡大は不意打ち同然だった。翻弄(ほんろう)された住民の苦悩や、手探りが続く町の対応を追う。(文中敬称略)