【川俣・無防備の戸惑い12】国の除染方針に不満 根強い「山林先行」の声

川俣町山木屋地区の計画的避難が昨年5月に始まってから丸1年が過ぎた。2度目の初夏を迎え、田畑の雑草が昨年以上に目立つ。野生動物が時折、道路を横切る。
「人が住まないことが当たり前になってしまう。地域の再生が難しくなる前に早く除染しなければならない」。地区の自治会長vを務める大内秀一(64)は、そう思いながらも国の方針に不満を抱く。
国は3月から5月にかけて、大内ら自治会役員や住民を対象に除染方針の説明会を開いた。今後2年間は住宅周辺を中心とした除染を進める考えを示し続けた。これに対し、住民からは住宅周辺に先行して山林の除染を求める声も根強い。
11の行政区ごとに開いた今月19、20両日の説明会。住民は「山林が多い山木屋は、都会とは違う。住宅周辺の20メートルだけを除染しても意味がない」「除染して線量が下がらなかったら、下がるまで何度も繰り返してほしい」などと厳しい意見や要望を国の担当者に突き付けた。
説明会で細かい作業工程に質問が及ぶと、国の担当者は「しっかり取り組みたい」などと述べるにとどまった。「それでは答えになってない」。住民はいら立ちを募らせた。
■四季の風情
大内は自宅から約8キロ離れた避難先の借り上げ住宅で暮らす。地域安全パトロール隊員として地区をつぶさに見回りながら、日に日に荒れ果てる故郷の現実に、幼いころに見た風景を重ね合わせる。
道端には清流が流れ、夏は裸になって遊んだ。イワナやヤマメも捕った。春はタラの芽やウド、秋はキノコ...。移り変わる四季に身を預ける生活だった。
中学校を卒業後、山木屋地区に隣接する浪江町津島地区で大工見習いとして4年間、働いた。親方宅に住み込みで技術を覚えた。20歳で地元に戻って独立した。新築や増改築などの注文を受け、堅実に仕事を続けてきた。
東京電力福島第一原発事故は、住民が築き上げた歴史や文化、美しい自然を放射性物質にさらした。
「住宅の鍵を取り換えてほしい」「物置を木の板でふさいでもらいたい」。昨年4月、計画的避難区域に指定されると、自宅を離れる住民の依頼が相次いだ。「俺たちの故郷が、なぜ」。大内はそんな疑問を口には出さないまま、黙々と仕事をこなした。
■区域再編
大内ら住民は除染の行方と同時に、計画的避難区域の見直しにも大きな関心を寄せる。
隣接する飯舘村も計画的避難区域に指定されたが、村は20の行政区ごとに避難区域を再編する案を住民に示し、話し合いを進めている。村の案によると、村内は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に分かれる。
町長の古川道郎(67)は「除染のスケジュールが見えた段階で、区域の見直しを進める」と説明する。
「安心して生活できる状態になってから帰りたい。ただそれだけなんだけどな...」。大内は、そうつぶやいた。(文中敬称略)