サーフィンまた古里で

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で古里の海を奪われたサーファー2人が、再び海に向き合おうと立ち上がった。津波で父とサーフショップを失ったいわき市の鈴木孝史さん(61)は店を再開させた。原発事故で南相馬市小高区から福島市に避難し、サーフボード製造工場を営む室原真二さん(46)は古里復興へ大会誘致を目指す。
仲間支えに店再開
■津波で父とサーフショップ失う 鈴木孝史さん(61)いわき
鈴木さんは2日、経営するサーフショップ「スローダンサー」の開店35周年を祝うパーティーをいわき市内のホテルで開いた。震災から間もなく3年8カ月。「仲間といわきの海を盛り上げたい」。友人の笑顔に囲まれ、思いを新たにした。
鈴木さんは昭和54年、住宅や民宿など並ぶいわき市平薄磯に店を構えた。白砂青松の美しい海岸に、全国から多くのサーファーが訪れ、仲間ができた。店の経営の傍ら、薄磯採鮑組合に所属し、ウニやアワビ漁で、海の恩恵を受けてきた。
しかし、平成23年3月11日、津波で自宅と店舗を流された。父三郎さん=享年84歳=を亡くした。
震災から1年後の津波犠牲者慰霊祭で、地元の区長から「大好きだった海を取り戻してもいいんじゃないか」と声を掛けられた。その言葉に後押しされ、店の再開を決意した。
開店の準備をしていたとき、知人が豊間中校庭のがれきの中から、以前に店先に掲げていた鈴木さんの店の看板を発見した。今年4月に再開した店に、その看板を掲げた。
オープン後、震災が起きてから1度も海に入らなかった仲間からサーフボードの製作を依頼された。ボードに震災前の豊間海岸の写真を印刷してほしいと頼まれた。
海は自分から大きなものを奪ったが、多くの仲間がいるのを気付かせてくれた。「これから少しずつ恩返ししていきたい」。サーフ談義を楽しめる場を提供し続ける。
「聖地」の復活へ 大会誘致目指す
■日本連盟福島支部長 室原真二さん(46)小高
室原さんは震災前、南相馬市小高区で「室原サーフボード製作所」を営んでいた。日本サーフィン連盟福島支部長も務め、南相馬市が進めてきたサーフィンを核とした地域おこし「サーフツーリズム」をけん引してきた。
平成18年10月には市内の北泉海岸で初の世界大会を開き、その後、毎年のように大きな大会を開催してきた。
しかし、原発事故で小高区は避難区域に設定された。平成23年7月、福島市松川町の工業団地に製作所を移転。県中小企業等グループ施設等復旧整備補助金を活用して最新の加工機を導入し、共に避難した社員4人と再出発した。避難生活と慣れない土地での仕事、いつ古里に戻れるか分からない不安と闘いながら、ようやく軌道に乗せることができた。
古里の北泉海岸は、秋の深まりとともに、震災前と変わらない絶好の波をつくり出している。全国の仲間から「再び福島の海でサーフィンをやりたい」との声が寄せられるようになった。
現在、海岸の清掃や仮設トイレの設置など少しずつ環境整備を進めている。もう1度、古里でサーフィン大会を開き、全国有数のサーフィンの「聖地」を取り戻すつもりだ。
