真野川漁港復活の船出 津波被害乗り越え 「にぎわい取り戻す」

■南相馬・鹿島区漁師の柴田昌幸さん(58)
南相馬市鹿島区の漁師柴田昌幸さん(58)の漁船「花園丸」の進水式が18日、真野川漁港で行われ、漁師仲間が柴田さんの新たな船出を祝った。漁船は東日本大震災の津波で損壊し、地元の造船会社「鹿島造船」に依頼して建造した。同社で造った5トン以上の船で、同漁港で操業開始するのは震災後初。お盆ごろから試験操業に取り掛かる。柴田さんは「本操業再開のために頑張りたい」と喜びをかみしめた。
新生「花園丸」が色とりどりの大漁旗をなびかせながら真野川漁港に入港すると、南相馬市鹿島区烏崎地区の住民、浪江町、相馬市、地元の漁業仲間から歓声が湧き起こった。船上に立つ柴田さんは万感の思いで、仲間に手を振って応えた。
柴田さんは平成23年3月11日の震災直後のことを今でも鮮明に覚えている。次男有希さん(30)とともに、先代の「花園丸」を安全な場所に避難させようと岸壁から離すために船に乗り込んだ。その時、津波が襲った。
2人は船ごと内陸部に約3.8キロ流された。幸い2人とも無事だったが、船は損壊した。船はしばらく、6号国道沿いに放置されたままとなった。自宅も津波で流され、避難生活を余儀なくされた。
追い打ちを掛けるように、東京電力福島第一原発事故で漁業を続けるのが困難になった。「先が見えず、不安だった」
しばらくして、真野川漁港近くで地元の鹿島造船が事業を再開するのを知った。「また船に乗りたい」という気持ちが湧いてきた。妻と2人の息子も応援してくれた。昨年、正式に「花園丸」の建造を依頼し、ようやく完成にこぎ着けた。
「やっとこの日を迎えることができた」。津波被害で住民が離れ離れになる中、自らの船出に、再び仲間が集まってくれたことが、何よりうれしかった。「まだ試験操業の段階だが、かつての港のにぎわいを必ず取り戻す」と誓った。
【漁業再興に期待】
県内では、東日本大震災による津波などで漁船873隻、漁港施設284カ所が被災した。
真野川漁港も甚大な被害を受けた。漁船五十数隻のうち、約8割が損壊した。地域の住民ら58人が犠牲になった。
震災前、漁港では、主にカレイやヒラメ、コウナゴなどが水揚げされ、活気にあふれていた。烏中清区長(66)は「新しい船が完成し、地域の復興が目に見える形で進んでいると感じる。1日も早く試験操業から本操業になって、以前のような活気あふれる港に戻ってほしい」と漁業再興に期待を寄せた。
