喜多方に希望の新工場 古里・小高から機器運び出し きょう念願の再開

操業再開が決まり、仕事への意欲を新たにする基さん(左)と誠さん

■モトイ精機経営 江井基さん(65)誠さん(41)
 古里の南相馬市小高区から約110キロ。喜多方市字清水台の工場に、大事に手入れしてきた製造機器が並ぶ。光学機械器具・レンズ製造業「モトイ精機」社長の江井基さん(65)、長男で専務の誠さん(41)は互いを見詰め合い、無言でうなずいた。「また一から始めよう」。8日、新天地で、希望の新工場が動きだす。
 モトイ精機は、昭和57年に基さんが創業した。自宅に隣接する工場は東京電力福島第一原発から約12キロの警戒区域にある。東日本大震災と原発事故発生後、家族5人で福島市、山形県米沢市などに避難、その後に取引先の知人を頼り、青森県に移り住んだ。
 昨年6月、誠さんが工場の移転・再稼働を考え始めた。中通り、会津地方で、機械の重みに耐えられる床の厚みと面積、電源の確保など、条件に合う施設を探し回った。青森と本県を往復する生活が続いたが「動ける自分がやらなければ」と頑張った。7月上旬、喜多方市の空き工場を使えることになった。
 機械設備は旧工場のものを使うことにした。警戒区域に一時立ち入りするたび、さび止めのグリセリンを機械に塗り、オイルを差した。「申し訳ない。必ず動かすから」。そんな思いを込めて。
 県と喜多方市の補助を受け、移設と改修、備品の購入を進め、11月末から、新工場に機械を順次運び入れた。「頼む、動いてくれ」。電源を入れると、8カ月ぶりに聞き慣れたモーター音が響いた。肩の荷が下りた。
 「よくやってくれた」。工場再開に力を尽くした息子に、基さんは厚い信頼を寄せている。13人いた従業員は、家族5人を含む6人に減った。家庭の事情や雪国での生活の不安などが理由だった。
 不景気で製品単価は下がる一方。震災前の実績に戻すのは難しい。それでも仕事に対する情熱は衰えない。「注文が増えれば機械をフル稼働させる。新たな従業員も雇いたい」。手塩にかけたレンズ越しに、復興への道が広がることを願っている。