稲育ててこそ農業 再生願い先陣切る

作付け再開の喜びをかみしめ作業に励む大和田さん(中央)。右は妻礼子さん、左は長男慎さん=広野町

■3年ぶり広野で喜びの田植え 大和田久司さん(63) 
 春の日差しに輝く水田を田植機が進む。エンジンがうなる。緑の苗の列が一直線に伸びる。「田を耕し、稲を育ててこそ本当の農業だよ」。3日、東京電力福島第一原発事故後初の作付け作業を始めた広野町下北迫の農業大和田久司さん(63)は、込み上げる思いを明かした。
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 高校卒業後に農家を継いで45年余り。認定農家として町の農業を支え、現在、町農業委員会長を務める。平成7年に仲間3人で稲作の受託会社「フロンティアひろの」を設立し、田植えは毎年30ヘクタール、稲刈りは60~70ヘクタールを請け負った。
 原発事故に伴い、妻礼子さん(64)、長男夫婦、孫2人の家族6人でいわき市に避難後、礼子さんと一緒に23年夏、地元に戻った。
 道路の除草などの仕事に当たる傍ら、水田の手入れに励み、稲作を再び始める日を待ち続けた。
 作付けに向けて町は24年度、4ヘクタールの実証田で試験栽培に取り組んだ。さらに、300ヘクタールに及ぶ町内全ての水田を除染した。試験栽培にも、除染作業にも携わり、この日を迎えた喜びはひとしおだ。
 ただ、農家の多くは各地に避難したままだ。稲作ができるようになっても、再開するのは約110戸と、原発事故前の3分の1にとどまる。
 田植えの風景も一変した。5月の連休を利用し、家族総出で一斉に水田に繰り出すのが恒例だった。しかし、親は戻っても、若い世代は避難している農家が少なくない。3日は大和田さんを含めて数戸の農家が田植えを始め、大和田さん方では、長男慎さん(41)が避難先のいわき市から手伝いに駆け付けた。それでも「(原発事故前は)嫁も孫も一緒に来てくれた。他の家も同じで、お祭りのような騒ぎだった」と思い出す。
 コメは全袋検査で安全性を確認後、JAふたばを通して全量買い上げとなる。しかし、原発事故で自粛を余儀なくされた2年の空白期間が、今後のコメ作りにどう影響するかも気掛かりだ。土壌の養分がどの程度、残っているのか測りかねている。
 今年は受託分を含めて5ヘクタールにコシヒカリと県のオリジナル品種「天のつぶ」を作付けする。1枚の水田に植える苗の数を通常よりも少なめにし、養分が全体に行き渡りやすくするなど対策も怠らない。
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 双葉郡内では、今春、川内村の旧緊急時避難準備区域で89戸が計102ヘクタールを耕作する。楢葉町は避難区域の再編を受けて今年度、3・5ヘクタールでコメの実証栽培に乗り出し、27年度の再開を目指す。
 大和田さんはフロンティアひろのの仲間と一緒に6日、委託された楢葉町の苗作りにも取り掛かる。「広野町の農業が立ち直らなければ、双葉郡の農業再生はない。稲作を始めた農家の気持ちはみんな同じだ」。先陣を切った責任の重さを口にした。