(20)混乱の中2人の死 避難の責任はどこに

ノリさんと守さんの遺影が並ぶ仏壇に手を合わせる八重子さん

 原発事故で双葉町から運ばれた避難の末、白河市の白河厚生総合病院に入った藤田ノリさん=当時(90)=は、4月になると病院側から退院を求められた。19日に矢祭町の高齢者施設に入所したが翌日、肺炎を再発して体調が急変、茨城県常陸太田市の病院に移った。
 その4日前、長男守さんが65歳でこの世を去ったことを、病床のノリさんは知らなかった。
 守さんの妻八重子さん(58)は、ノリさんに守さんの死をなかなか告げられずにいた。しかし6月、ありのままを話した。ベッドのノリさんは八重子さんに背を向け、静かに涙を流していた。
 肺炎から持ち直しても、ノリさんはベッドを離れることができなかった。「おばあさん、どうしたの。何が言いたいの」。口からは言葉にならない声。ベッドの母は嫁の手を両手で握って離さなかった。最後の面会から2日後の平成23年12月6日、ノリさんは自宅から約120キロ離れた土地で息を引き取った。91歳の誕生日の2日前だった。
 ノリさんは現在の南相馬市鹿島区で生まれた。養子に入った藤田家は木材の運搬を営んでおり、ノリさんは仕事で忙しい夫を支えながら、6人の子どもを育てた。
 年を重ねても気丈な性格は変わらなかったが、足が不自由になったため18年3月、双葉町の高齢者施設「せんだん」に入所した。家族は南相馬市に施設を探したが、どこも100人を超す待機者がいた。ケアマネジャーと相談して決めた先が「せんだん」だった。
 入所したノリさんは得意な編み物で周囲を喜ばせた。施設の夏祭りでは出店を回って好物を味わい、車椅子に乗ったまま音楽に合わせて踊って見せた。
 23年1月、体調を崩して「せんだん」の隣の双葉厚生病院に入院した。施設に戻れるようになるまで体調が回復したころに東日本大震災と原発事故に見舞われた。
 ノリさんは双葉町から震災関連死の認定を受けた。八重子さんは夫と義母の2人を原発事故の避難で失った。
 「ノリさんの避難経路を教えてくれと双葉町に言われた。町が調べて家族に教えるのが筋ではないか」。八重子さんの疑念は消えない。
 「原発の事故を想定していなかった東京電力と双葉町に責任がある。避難時の備えがもう少しあれば」と心はわだかまる。