(23)自ら火を付けた妻 死者には書類届かず

はま子さんが自殺した焼却場。奥に自宅が見える

 「はま子、はま子」。渡辺幹夫さん(62)は川俣町山木屋の自宅敷地で自殺を図った妻はま子さん=享年(57)=を見つけ、叫んだ。平成23年7月1日午前7時ごろだった。
 東京電力福島第一原発事故による避難でふさぎ込んでいた妻を励まそうと前日、2人で計画的避難区域に設定された川俣町山木屋の自宅に宿泊していた。
 朝、はま子さんの姿が見えないため、辺りを捜すと、変わり果てた姿を発見した。
 ガソリンのような液体を浴び、自ら火を付けた。遺書はなかった。
 幹夫さんは妻の死を受け入れることができず、しばらくは何も考えられなかった。7月3日には川俣町の葬祭場で葬儀を営み、はま子さんが帰りたがっていた自宅から出棺したことが、せめてもの供養だった。
 「自殺するほど追い詰められていたのか...」。幹夫さんは妻が抱えていた苦悩の深さを理解できなかった自分を悔やんだ。
 福島市小倉寺に借りたアパートに戻る気持ちにはなれなかった。昭和48年に結婚し、二男一女に恵まれた。家族で過ごした自宅で、はま子さんとの思い出に浸りたかった。長男、次男も同じ思いらしく、幹夫さんと一緒に泊まった。
 庭には妻が手入れしていた草花がかれんな花を付け、はま子さんの笑顔に重なった。
 幹夫さんは7月23日、川俣町にできた仮設住宅に1人で引っ越した。仏壇を置くスペースはなく、はま子さんの位牌(いはい)だけを持って行った。
 8月中旬ごろ、仮設住宅に東京電力から賠償請求についての書類が届いた。賠償請求の対象に、はま子さんの名前はなかった。
 死んだ者への責任は取らない-。東京電力からそんな言葉をたたき付けられたようで、無性に怒りが込み上げた。
 9月上旬、川俣町中央公民館で賠償書類の記入方法の説明会が開かれ、幹夫さんは東電の担当者に妻にも賠償するよう詰め寄った。
 「自分では対応できません。持ち帰ります」。担当者は答えたが、その後、東電から連絡はなかった。
 「弁護士に相談したらどうだ」。11月、知人からいわき市の広田次男弁護士を紹介された。「泣き寝入りせず、闘うべきだ」。広田弁護士の言葉に、幹夫さんは東電に対して法的措置を講じる決意を固めた。