(28) 命の重さ 弔慰金 苦悩する遺族 認定、市町村に差 「同じ避難区域なのに」

川俣町災害対策本部があった町保健センター。事故直後は避難中の死を災害弔慰金の対象外とした

 川俣町山木屋の無職渡辺彦巳(ひこみ)さん(60)が福島市の避難先に腰を落ち着けて50日ほどたった平成23年7月中旬。2カ月ほど前に死去した父の義亥(よしい)さん=当時(87)=の災害弔慰金の申し出をするため、川俣町の災害対策本部がある町保健センターを訪ねた。梅雨が上がり、夏本番の強い日差しが照り付けていた。
 東京電力福島第一原発事故の発生後、義亥さんを埼玉県草加市に避難させた。体調が悪化し、自宅に連れ戻した直後、息を引き取った。程なく山木屋は計画的避難区域に設定され、住民は古里を追われた。
 「急性心筋梗塞」と記された死体検案書、草加市の病院が発行した退院証明書、町内の医者への紹介状を準備し、窓口に向かった。
 「原発事故の避難による死が災害関連死に含まれるなら、該当しているに違いない」。山木屋を愛した父のために、地元の墓地に新しい墓石を建立したかった。借り上げ住宅の福島市のマンションに見合った小さな仏壇も欲しかった。

 町の担当職員から思わぬ答えが返ってきた。「死亡診断書に『地震で家が崩れて圧死した』とでも書かれていなければ、だめですね」。死体検案書には地震に関連する記述はなかった。持ち込んだ書類を見せながら、原発事故による避難が父親の死期を早めたと説明したが、認めてもらえなかった。
 東日本大震災による津波や建物崩壊などによって命を落とした「直接死」以外は対象外だという。一方で、原発事故による警戒区域が設定された双葉郡の町村などでは、避難中の死亡が災害関連死に認定される-と聞いていた。
 「同じ避難区域の住民なのに差が出るのはおかしい。制度をきちんと確認していないんじゃないか」。門前払いの扱いに納得いかない思いが募ったが、引き下がるしかなかった。

 災害関連死の申し出がはねつけられたことに釈然としないまま1年が経過した。福島市に避難する際、川俣町内の介護施設に母マチさんを入所させていた。マチさんは短期リハビリテーションを利用していた。施設での生活が始まって1年余りたった平成24年7月上旬、退去してほしい、と求められた。
 マチさんは福島市の高齢者向けマンションに移り住んだ。病院が運営し、管理人も常駐しているため安心できるとの理由からだ。しかし、入居直後から様子が変化した。介護施設に居た時は同じ古里の山木屋のお年寄りがいたため、会話を楽しんだり、一緒に食事をしたりしていた。自分の部屋に閉じこもりがちになる。「家に帰りたい。山木屋の墓に俺を埋めてけろ...」。幾度となくせがまれた。
 年末から食事をあまり取らなくなった。体力が低下し、今年4月10日、福島市内の病院に入院した。ある日、呼吸を乱し、彦巳さんにこう語り掛けてきた。「俺の脇にいろ」。老いた母の手をそっと握り締めた。
 入院から16日後、マチさんは息を引き取った。間質性肺炎。86歳だった。