【第2部 安全の指標】(7)揺らいだ基準 影の助言チーム結成

平成23年3月15日に東電の社員が撮影した福島第一原発3号機(左)と4号機(中央奧)。水素爆発が相次いで起こり、原子力安全委員会の信用は失墜していた
平成23年3月15日に東電の社員が撮影した福島第一原発3号機(左)と4号機(中央奧)。水素爆発が相次いで起こり、原子力安全委員会の信用は失墜していた

 東京電力福島第一原発事故直後の平成二十三年三月十六日。政府と東電が初動対応で後手に回る中、危機管理の空白を埋めようと、原子力の専門家らによる非公式な助言チームがひそかにつくられた。中心となったのが国際放射線防護委員会(ICRP)の委員を長年務めた東大教授の小佐古敏荘(61)だった。

 原発事故で官邸に専門的な助言をするのは法律で内閣府の原子力安全委員会と決まっていた。だが、委員長の班目春樹(62)は三月十二日の1号機の水素爆発の約八時間前に「爆発は起きない」と首相の菅直人(64)に断言したことで信頼を失っていた。各省庁から官邸に詰めていた官僚たちも原子力安全委に冷ややかな視線を送った。十四日には3号機で水素爆発が起きた。

 原子力安全委が果たすべき助言機能が不全に陥り、業を煮やした閣僚らが「影の助言チーム」結成に動いた。

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 3号機の水素爆発から一夜明けた三月十五日朝。政府も東電も対応に右往左往していた。民主党の衆院議員で工学博士の空本誠喜(47)は国土交通副大臣の三井弁雄(68)に呼ばれた。建屋への放水について助言を求められ、空本は自衛隊に出動を要請すべきだと進言した。

 空本は東大大学院で原子力工学を専攻し、東芝で原発プラントの設計に携わった経験があった。国会議員の中で原子力通として知られていた。

 空本は三井からの指示で、国交相の大畠章宏(63)の元に足を運んだ。大畠は厳しい表情で口を開いた。「官邸が機能していない。バックアップしなければならない」。助言チーム結成の話だった。空本は二つ返事で応じた。大畠も日立製作所で原発プラントの設計や建設に従事した経験があった。それだけに、原子力行政の担当ではなくても危機感は人一倍強かった。一方、菅は東京工大の同窓生らを次々と官邸に呼んで助言を求めていた。

 「水素爆発で班目さんは『でたらめさん』だったことが分かった。菅さんは安全委を見切り、個人的に家庭教師を付けた。みんなばらばらだった」。空本は振り返る。

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 助言チームの人選を任された空本が中心に据えたのが、小佐古だった。小佐古は空本と同郷の広島県出身で、東大の恩師でもあった。放射線防護が専門で原発の仕組みにも通じていた。空本は「国の一大事だから」と頼み込んだ。小佐古と関係の近い内閣府原子力委員長の近藤駿介(68)も協力してくれることになった。

 十五日午後六時半ごろ、空本の携帯電話が鳴った。「原子力に詳しいようだから官邸に入ってくれないか」。首相の菅からだった。

 その十分後、小佐古が東京・霞ケ関の国交大臣室に到着した。前首相の鳩山由紀夫(64)や国土交通政務官の小泉俊明(53)らもいた。空本が事故の現状を説明し、小佐古は「チェルノブイリ級になるかもしれない」と強調した。

 空本は小佐古を連れて経済産業省に足を運び、経産相の海江田万里(62)に事情を説明した。その後、官邸の首相執務室で菅からあらためて「手伝ってくれないか」と要請された。空本は「既に動いています」と答えた。(文中敬称略、年齢と肩書きは当時)