今を生きる 困難抱え 店再開 津波で息子犠牲 「前向きに」切り盛り

「前向きに仕事をしなければ」と語る浜名さん

■南相馬でカラオケ店経営 浜名紀雄さん
 「1人息子は津波に奪われた。でも、われわれ事業者が頑張らないと復興できないから」。南相馬市原町区でカラオケ店「カラオケベスト10」を営む同市鹿島区の浜名紀雄さん(68)は肉親を失ったつらさを振り払うように連日、仕事に打ち込んでいる。

 長男・淳一さん(43)は鹿島区の消防団員だった。3月11日の震災発生直後、浪江町大堀の勤務先から出動した。自宅にいた紀雄さんは店が心配になり、原町区へ。その後津波が鹿島区を襲った。自宅は跡形もなくなり、淳一さんの行方も分からなくなった。
 翌日から紀雄さんは浪江町や市内の小高区、原町区にある病院、遺体安置所を回り始めた。青森県へ旅行中だった妻・シゲ子さん(66)が寸断された交通機関を乗り継いで16日に戻り、いったん福島市飯坂温泉に避難した。しかし、淳一さんのことが心配で20日に淳一さんの妻・香さん(37)ら親族4人で小高区と浪江町に捜索に向かった。
 夕闇が迫るころ、小高区の6号国道の下に淳一さんの乗用車が横転しているのを香さんが見つけた。紀雄さんが反対側の道路下を見ると淳一さんが泥の中に倒れていた。眠ったような安らかな顔だった。「見えない何かが引き合わせてくれたんだと思う」と紀雄さんは振り返る。
 しばらくは1人で店の掃除をする日が続いた。友人から「ストレスがたまった。カラオケをしたい」と電話がかかってくるようになった。知人で小高区の県歌謡協会相双支部長・斎藤照美さんは津波で亡くなった。同支部の幹事長としての責任も感じていた。紀雄さんは営業再開を決意し、5月13日に店を開けた。
 年中無休で、平日と日曜日は午前11時から午前零時まで、土曜日は午前3時まで店を開けている。お客が戻り、人手が足りなくなっている。求人を出したが、職を求める人はほとんどおらず、限られた人数で店を切り回している。厚生労働省に電話をして働き手がいない現状を訴え「休業補償をもらいながら働ける特区はできないか」と談判もした。しかし、状況は改善していない。
 「年末に向けて忙しくなると思うが、どうしたものか...。ただ、前向きに仕事を続けないとね」と紀雄さん。やり場のない思いを抱えながらも、困難に立ち向かっている。