今を生きる 復興のスイセン再び 台風で流失...「何度でも」 塙町職員ら2度目の植え付け

■いわきの緑川さん提供
「災害や困難に負けずに何度でも立ち上がろう」。東日本大震災からの復興のシンボルとして塙町の道の駅はなわの河川敷に植えられたスイセンの球根が台風で流されてから1カ月。町まち振興課長の天沼恵子さん(53)、町臨時職員で作業リーダーの近藤泰夫さん(62)ら町職員らは8日、2度目の植え付け作業に臨んだ。いわき市田人町の農業緑川潔さん(76)から、再びスイセンの球根を譲り受けた。田人町と塙町の縁を結ぶスイセンには、復興への強い願いが込められた。
町は緑川さんから20万個の球根をもらい、河川敷に植えたが、10月の台風で花壇もろとも流された。緑川さんの亡き妻千代さんにあやかって「八千代スイセン」と名付けた矢先だった。
台風一過。晴れ渡った空の下には、大量の川砂に覆われた河川敷が広がっていた。「このままでは(緑川)潔さんにも千代さんにも顔向けできない」。天沼さんは10月末、緑川さんの元を訪れ「もう1度だけ球根を植えさせてほしい」と頭を下げた。
20万個の球根が濁流にのまれる前日、緑川さんは偶然にも塙町を訪れていた。きれいに整備された約20アールの花壇を見下ろすと、田人町の観光名所として親しまれた自宅前のスイセン畑と重なった。「来春には黄色いスイセンが河川敷一面に咲く。女房も喜んでくれっぺ」。大震災を受けて栽培に区切りを付けたスイセンを塙町に託して良かった-そう思っていた。
頭を下げ続ける天沼さん。緑川さんは「畑を掘ってみっか」と言った。妻との思い出が詰まった遊休農地にくわを入れると1万個の球根が見つかった。
8日の植え付けには「八千代スイセン」1万個に加え、事情を知った町民が自宅からスイセンの球根を持ち寄った。道の駅に農産物を出荷する生産者ら60人は、河川敷に運ばれた石を拾い集めた。近藤さんは「多くの町民が八千代スイセンの開花を待っている。今度こそ大丈夫」と期待を込めた。