【共生の功罪10】発展 支えた自負 立地地域 苦悩続く

 地震から一夜明けた3月12日午前6時前。町役場で朝を迎えた大熊町長、渡辺利綱(64)に電話が入った。声の主は首相補佐官の細野豪志(現原発事故担当相)。原発から半径10キロ圏内の住民に対する避難指示が出された。
 町民約1万1千人は、バスや自家用車で288号国道などを西に向かった。太平洋岸にある原発とは反対の方角だった。
 「4、5日もすれば帰れるだろう」。渡辺を含む誰もが、そう考えた。住民の避難が一段落した午後3時36分。町役場に最後まで残っていた職員数人が車に乗り込もうとした時だった。爆音がとどろき、原発がある東の空に白煙が立ち昇った。
 渡辺は避難先の田村市で情報を知り、事態の深刻さにがくぜんとした。「事故直後に原発は自動停止したから、大丈夫だと思っていた。安全神話を信じ、水素爆発が起きることは想像だにしなかった」

■県全域に恩恵
 「原発でいい思いをしたんだから、被害者面(づら)するな」。会津若松市内にある大熊町の仮庁舎には、時折そんなメールが届く。
 町は原発立地に伴う税収や電源三法交付金を足掛かりに発展してきた。しかし、原発関係の税収や交付金を全て、大熊町などの立地地域が独り占めしてきたわけではない。本来は市町村税となる発電所の大規模な土地や設備の固定資産税には、市町村ごとの基準を超えた分を県の収入とする仕組みもある。
 県道、福島空港、会津大...。原発だけではなく水力、火力といった発電所の立地による収入が、県土づくり全体を支えてきた。
 「町が恩恵を受けたのは確かだ。でも、県に貢献したことも事実だ。何よりも国のエネルギー政策に協力し、首都圏に電力を送り、その電力が日本の繁栄を支えた」。渡辺は毅然(きぜん)と訴える。

■信じた「安全」
 町商工会長の蜂須賀礼子(59)は事故後、他県の原発立地地域に出掛ける機会があった。地元の人から「今後、原発と地域はどう関わるべきか」と質問を受けた。
 「原発は安全」と信じていたが、今となっては放射能は怖い。一方で「事故さえなければ、原発は人の役に立ち続けたはず」と思い直す。
 共存か、脱原発か―。蜂須賀は「どちらを選ぶにせよ、覚悟を決めるしかない」と訪問先で答えた。
 かつてない事故によって、原発への拒否感が高まる。だが、停止中の原発の再稼働を求める声も出始めている。共生の功罪と向き合いながら、立地地域の苦悩は続く。(文中敬称略)

=第1部「共生の功罪」は終わります=