【振興への駆け引き11】繰り返された「寄付」 地域自立への道 続く

東京電力福島第一原発事故から数カ月が過ぎた昨年夏。富岡町観光協会の幹部(60)は葬儀の席で、知り合いを見掛けた。富岡、楢葉両町に立地する福島第二原発に、かつて勤務していた東電社員だった。
県内の避難所で、謝罪に訪れた東電社長に土下座を要求する避難者がいたことを報道で知っていた。
「苦しいが、頑張っていきたい」。葬儀の後、絞り出すように話す社員に対して、興奮した避難者が抱いたような責めたてる気持ちは起きなかった。協会の幹部は「地域への協力を惜しまなかった発電所勤務の東電社員は、地域と一体の部分があった」と振り返る。
■知らず知らず
毎年8月に開かれている富岡町の「富岡夏まつり」が近づくと、福島第二原発内の応接室で、恒例の場面が見られた。
「今年もぜひ協力させていただきます」。町観光協会が東電に協賛を依頼し、発電所幹部が快諾する。協会幹部は「誠意ある対応が印象に残っている」と話す。
夏まつりは、多彩なイベントを繰り広げる風物詩で町内外から多くの人が訪れる。しかし、多額の運営費を賄うために東電からの寄付が欠かせなかった。
花火大会への協賛は、ほとんどの地元企業が1万円程度だった。しかし、協会幹部によると、東電は100万円以上を支出していた。
東電が地域振興と発電所への住民の理解を目指す一方で、地元には知らず知らずのうちに東電に頼る体質が芽生えた。
民間だけではない。原発立地の4町を中心に地元には、税金や交付金以外の恩恵もあった。ある町は東電から、公共施設の整備費やピアノなどの高級な備品を、地域振興のための寄付として受けた。元町職員は「発電所のトラブルがあるたびに、さまざまな寄付が繰り返され、町もそれに頼っていた」と明かした。
■暗中模索
南双葉青年会議所元理事長の遠藤一善(50)=富岡町=を中心とした若い世代は「大企業に頼ってばかりでは発想が止まってしまう」と平成10年以降、原発から自立したまちづくりを積極的に試みた。
美しい景観が特徴の浜街道(県道広野小高線)や自然を生かしたまちづくり、Jヴィレッジを活用した地域振興などを目指した。しかし、目に見える大きな成果を出すのは難しく、「暗中模索を繰り返した」と説明する。
昨年11月、福島第一原発事故で避難した町民同士が交流する機会を増やすため、遠藤は「福島市及び県北地区在住富岡町民自治会」の設立に携わった。
帰還できる時期は見通せない。町に多額の税金や交付金、寄付をもたらした東電に頼ることはできない。それでも、遠藤は「10年、20年先を見据えて活動していきたい」と帰還後のまちづくりを手探りで見つけようとしている。地域を復興させ、暮らしを取り戻す長い道のりが続く。(文中敬称略)