地域医療の責任貫く
■ときわ会常磐病院・臨床検査技師 益子真由美さん(53)
静まり返った検査室で顕微鏡をのぞき、病気の兆候がないか目を凝らす。いわき市のときわ会常磐病院の臨床検査技師・益子真由美さん(53)が現在の職場で仕事を始めて5カ月になる。
原発事故で大熊町を離れた。県内外で避難生活を送りながらも、非常時には医療の現場に駆け付けた。多くの医師、看護師らが県外に移っている中、「これまで育ててくれた地域の恩に報いたい」と、医療人としての責任を貫く覚悟を決めている。
■―決断の日
南相馬市原町区の誠愛会原町中央産婦人科医院で検査業務に当たっていた時、震災に遭った。翌朝、大熊町の集会所で避難が始まることを知らされた。沿岸部は津波で大きな被害を受け、強い余震も続いていた。勤務先から「危ないから来ないで」と言われ、栃木県大田原市の夫の母親宅に避難した。
夫(54)は東京電力の社員で福島第一原発に勤めている。3週間ほど大田原市で過ごし、会津坂下町の自分の実家に1人で移った。
会津若松市の病院が検査技師を受け入れていることを知り、履歴書を書こうと思った矢先、勤務先から電話が入った。「戻ってきて」-。当時、南相馬市内は医療スタッフが著しく不足していた。4月6日、南相馬市に戻り、病院に泊まり込む生活が始まった。
■―野戦病院
震災前、穏やかな雰囲気に包まれていた病院は一変していた。下血などさまざまな症状を訴える患者が次々と運び込まれ、野戦病院のようだった。慌ただしい1日を終え、院内のベッドに横になると、原発構内で事故の収束作業に当たる夫の姿が目に浮かんだ。「睡眠はちゃんと取れているだろうか...」
1人っ子の長男(20)は東京の大学に通っている。地元の大熊町は警戒区域で帰れる場所がない。家族みんなが1人ぼっちだった。
■―今を懸命に
「家族と離れていていい仕事ができるのか」。知人の一言に背中を押されて昨年夏、夫が職場に通勤できるいわき市に移った。
早朝4時半に起きて夫の弁当を作る。戦場に送り出すようで胸が押しつぶされそうになる。それでも、弁当を食べてくれる家族がいることがうれしい。
新しい職場でも自分と同じ境遇の仲間がいることを知った。家族と離れ離れの看護師と抱き合い、泣いたこともある。誰もが先の見えない不安に耐えている。
最近、自分にこう語り掛ける。「あさってのことは考えられない。明日1日、みんなが無事でいてくくれればいい」。古里が元通りになる日が必ず来ることを信じ、今を懸命に生きていこうと思っている。
【医療人材難】
震災や原発事故の影響で県内の医師、看護師の県外流出や失業が相次いでいる。県によると、相双地方の医師は昨年3月1日現在の121人から12月1日現在で61人に半減。郡山市は535人から507人、いわき市は263人から260人に減っている。看護職員は8月1日現在で少なくとも県内で636人が退職、500人が休職している。
県は県外避難者らを雇用する際、人件費を補助するなどの対策を講じているが、人材確保は難航している。