田植踊復活目指す 「古里の絆つなぎたい」 福浦小での指導再開へ

津波で流されたが、発見され戻った田植踊の写真を見る岡和田さん

■津波で会員の多くが犠牲 小高の村上地区住民ら
 南相馬市小高区村上地区の住民が、伝統の「村上の田植踊」復活を目指している。東日本大震災の津波で保存会の会員の多くが犠牲となり、衣装や道具も流された。原発事故による避難が重なる中、会員らは「古里の絆をつなぎたい」と連絡を取り合い、再興へ動きだした。
 「村上の田植踊」は大正時代から記録があり、地区の全戸でつくる保存会が伝統を引き継いでいる。豊作などを願い2年に1度、地元の神社に奉納する。漁師の晴れ着「万祝(まいわい)」の衣装の踊り手や、ユーモラスな道化が登場するのが特徴だ。
 昨年3月11日の津波で、大半の家が流された。39人の会員のうち中島久子会長、横山ケイ子副会長ら12人が亡くなった。集落センターに保管していた手作りの笠や道具、各戸にあった衣装も流失。原発事故で警戒区域に指定され、生き残った会員も避難を余儀なくされた。
 今年1月、保存会の事務担当で歌い手でもある岡和田とき子さん(61)=福島市に避難中=が、無形民俗文化財の被災調査をしている民俗芸能学会福島調査団に連絡。事情を調べた懸田弘訓団長や調査員らが「とても貴重な民俗芸能であり、ぜひ継承を」と励ました。岡和田さんらは悲しみを越えて、仲間と共に復活を目指して活動を始めることにした。
 会員の3分の1を失った上、衣装や道具の購入も大きな負担で、状況は厳しい。しかし懸田団長の仲立ちで、ドイツ・ミュンヘンで行われた「日本の祭典」のチャリティー義援金約20万円の寄付を受けることになるなど、支援の輪の広がりが期待されている。
 保存会は以前、地元の福浦小で踊りを教えていた。学校には児童用の衣装や道具も残っている。鹿島小の仮設校舎に移転中の福浦小に打診したところ、4月以降に指導を再開できる見通しとなった。会員からも「ぜひ手伝いたい」と声が上がる。
 岡和田さんは子どもたちと一緒に、さまざまな場で踊りを披露したいと希望を膨らませる。「長年、親しまれてきた田植踊を踊れば子どもたちは元気が出るし後継者も育つ。地域の人も喜んでくれると思う」と張り切る。