何度でも立ち上がる 埼玉の朝市 きょうラーメン販売 三宅島では噴火被災、避難2度目

■楢葉の野崎仂さん(74)
会津美里町の仮設住宅で避難生活を送る楢葉町の野崎仂(つとむ)さん(74)は17日、さいたま市岩槻区で開かれる「岩槻安穏朝市」に出店し、東日本大震災後初めて、ラーメンを販売する。平成12年の三宅島噴火の際は同島でラーメン店を営んでいた。2度の大災害を経験した野崎さんは店の再開に向け、新たな一歩を踏み出す。
18歳で故郷の楢葉町を離れ、東京で仕事をしていた野崎さんは35歳になると三宅島に移り住み、翌年ラーメン店を始めた。磯釣りを楽しみながら、島民としての生活を充実させていた最中発生した、三宅島の噴火と全島避難。野崎さんは生まれ故郷の楢葉町に戻り「なら木戸ラーメん」を営み始めた。
その後、10年-。東日本大震災と福島第一原発事故により、人生2度目の避難指示を受け、会津美里町の仮設住宅に身を寄せた。周りには常連客の姿もあり、「野崎さんのラーメンを食べたい」と声を掛けられることも少なくない。
昨年11月にボランティア活動で仮設住宅を訪れた男性の紹介で、岩槻安穏朝市への出店が決まった。「自分が納得できるものしか売らない」と、一時帰宅ではずんどうやガスこんろ、調理器具を持ち帰り準備を進めた。麺は以前から取引している東京の製麺業者が支援を申し出てくれた。仮設住宅でメンマやチャーシューを作り、当日に備える。
「埼玉で避難生活を送る県民を応援したい」。被災者としてではなく、ラーメン店主としてイベントに参加することで自らを奮い立たせる。「楢葉町の人間が頑張っているところを見せたい」と出店の名前は「ならは屋」に決めた。
近い将来、会津での店再開も考えている。三宅島噴火からはい上がった野崎さんは、原発事故にも負けず、再びラーメン店主としての人生を歩み始める。