福島に新事務所 志貫く 避難先でも"ルーツ"胸に 「会社と従業員 守る」

■浪江の八島運送社長 林茂さん(68)
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で浪江町から福島市に避難している八島運送社長の林茂さん(68)は3月末、福島市東部の瀬上工業団地に新たな事務所を構えた。裸一貫で運送業を始め、震災前には大型トラックなど20台余を保有するまで事業を拡大させていた。古里に思いをはせながらも「この地(福島市)に根差し、しっかりと会社を継続させる」と決意している。
浪江町で自動車の整備士として働いていた林さんは昭和40年台後半、個人で運送の仕事を始めた。52年に八島運送を設立し、町内の材木運びなどで徐々に事業規模を拡大していった。震災直前、売り上げの7割は宮城県から関東方面に新聞用紙を運ぶ仕事を、残り3割は町内の仕事をしていた。
津波で従業員1人が亡くなり、原発事故による避難のために辞めていった従業員もいた。それでも、震災直後の3月下旬に福島市や郡山市の民間会社の敷地を借りて事業を再開させた。4月には福島市の仮事務所に移った。
約3割を占めた町内の仕事は全てできなくなったため、住宅用資材の運送などで新たな取引先を見つけた。必死で売り上げの確保に努め続けた。
新事務所は「福島営業所」として、県のふくしま産業復興企業立地補助金を活用した。2階建てで延べ床面積1180平方メートルある。70平方メートルだったこれまでの仮事務所と比べはるかに広く、1階に整備工場、2階に事務所や従業員の休憩所、会議室も設けた。
町は1日に避難区域が再編された。林さんは浪江町を「本社営業所」と位置付けている。しかし、現実的に戻ることは難しい。帰還までの道のりは長く、現時点で従業員やその家族、以前の取引先が町に戻る姿は、とても思い描けない。
現在、ドライバーの数は原発事故前と同じ23人。このうち9人は避難後に県北地方で雇用した従業員だ。「自分のルーツを忘れることはない。ただ、今の場所でも、会社と従業員を守り続ける責任を果たさなくてはならない」。林さんは静かに語り、真新しい整備工場で黙々とトラックの整備作業を続けている。