よみがえる「海勝丸」 大修理の末喜びの進水 漁再開へ一歩

■請戸で船が津波被害 鎌田寛さん(61)
2年1カ月前、浪江町の請戸漁港から大津波で打ち上げられた漁船「海勝丸」が大修理の末によみがえり12日、南相馬市鹿島区の真野川漁港で再び進水の日を迎えた。船を失い漁を諦める船主もいる中、家族で再出発の日を迎えられた船主の鎌田寛さん(61)は「ようやく自分の船で海に出られる。スタートラインに立ててうれしい」と喜びをかみしめた。
潮が来るのを待って重機2台が動きだした。台車に乗った6・6トンの海勝丸は前後からロープで操られ、斜面を利用してゆっくり海面へ滑った。進水を見届けた鎌田さん一家にとって、漁再開に向け第一歩となった。
小高区塚原に自宅があり、相馬双葉漁協請戸支所所属だった寛さんは、東日本大震災前まで長男寛典さん(34)、次男勇さん(31)と、海勝丸で海に出ていた。しかし3月11日、海勝丸は請戸漁港から数キロ内陸まで運ばれ、船体はもちろん動力系や機器類も大きく損傷した。
一家は一時、埼玉県に避難したが5月には原町区に戻った。寛さんも息子たちも自分たちの仕事場である海に戻りたかった。新しい船を造る方法もあったが、愛着もある海勝丸を修理することにした。国の補助があっても新たな負担は数1000万円に及ぶが、未来を信じ決断した。
放射線などの検査を終えた海勝丸は昨年2月25日夜、がれきが散乱する浪江町から造船所がある真野川漁港まで運ばれた。穴が埋められ、エンジンが据えられ、「海勝丸」の名前が入った。進水には家族や関係者が立ち会った。漁の自粛、風評被害、安定しない東京電力福島第一原発と、誰もが山積する課題を分かっているが、前を向ける節目の日となった。
請戸支所所属だった約100隻のうち、無事だったり、修理したりして海に出られるのは現在10隻ほど。寛典さんは「震災前のように当たり前に漁ができる日が早く来てほしい」と願った。
