遠野和紙復興の力に 伝統の技術残す 小屋建て、紙すき体験

■地域づくり振興協議会 いわき
東日本大震災1カ月後の平成23年4月11日に震度6弱の巨大余震が発生し被害を受けたいわき市遠野地区で、住民が江戸時代から続く伝統工芸・遠野和紙を生かし、復興を目指す取り組みが動きだした。町内の各種団体でつくる遠野町地域づくり振興協議会が紙すき小屋を建設。町内で原料のコウゾ栽培から和紙作りまでの全工程を体験できるようにし、技術を受け継ぐ人材を育成する。
協議会は震災前の平成22年、遠野町内のいわき遠野生活アートギャラリーを中心に遠野和紙の継承事業を始めた。しかし、巨大余震で紙すき小屋として整備する予定だったギャラリー内の建物が全壊した。協議会は取り組みを継続し、今回、新たな拠点となる小屋を新築した。小屋は木造平屋約112平方メートルで、紙すきに最も必要な地下水をくむ井戸や天日干しができるテラスも設置。総事業費600万円で、県地域づくり総合支援事業と市まち・未来創造支援事業の助成を受けた。
今秋からの和紙作りシーズンで使用を始める。協議会は観光客らがコウゾの枝刈りや煮込み、紙すきなど和紙作りを季節ごとに体験できるようにする。地域住民はコウゾの管理や観光客への案内や宿泊などに携わる予定だ。
遠野和紙の生産量が増えれば、お面にして地域の新たな土産物として販売する方針。昨年、地元の遠野産業振興事業協同組合が「いわき遠野面 つきうさぎ」を遠野高の生徒や遠野婦人会員の協力で作製、イベントで販売し好評だった。
遠野町は和紙の原料となるコウゾが自生している。地域の文献によると、江戸時代に地域で272軒あった農家のうち106軒が紙すきをしていた。漂白剤を使用せずソーダ灰で煮込み、天日干しをすることで、日数が経過するごとに白さを増すことが特徴とされる。江戸時代、遠野和紙は変色しにくく、武家の記録用紙などで重宝された。現在は生産量が少ないため、町内の小、中、高校の全5校で、卒業証書にのみ使用している。
時代の経過とともに、紙すきをする農家は減少する。現在では市重要無形文化財に登録されている同町の瀬谷安雄さん(87)だけとなった。
瀬谷さんから指導を受けている市内の「磐城手業の会」は数年前から技術継承に取り組んでおり、人材育成などで協力する。
協議会の蛭田幸広会長(64)は「震災から復興し、遠野に全国から観光客が訪れるように活用していく」と力を込める。瀬谷さんは「紙すき技術が地域に残るための施設になってほしい」と期待している。手業の会の菅野利夫さん(60)は「遠野和紙の技術をしっかり伝承したい」と話している。
※4・11巨大余震 平成23年4月11日午後5時16分ごろ、いわき市の西南西30キロ付近を震源とする震度6弱の地震が発生した。東日本大震災の余震で、同市田人町などで土砂崩れが発生し、民家や車が巻き込まれ4人が死亡した。翌12日午後2時7分ごろにも震度6弱の余震があった。いわき市によると、震災と余震による遠野町の建物被害は全壊319棟、大規模半壊431棟、半壊1165棟、一部損壊1644棟。現在も一部で断水や水量減少が続いている。