父と守る伝統の技 避難生活...苦難越え 繊細な造形に高い評価 県展で県美術大賞

■大堀相馬焼「陶吉郎窯」後継者 近藤賢さん(32)
「作陶への思いは、浪江からいわきに避難しても変わらない。評価されてうれしい」。第67回県総合美術展覧会(県展)で県美術大賞に輝いた近藤賢(たかし)さん(32)=いわき市江畑町=は、大堀相馬焼「陶吉郎窯」の後継者だ。東京電力福島第一原発事故後、浪江町から避難し、何もない状態から再スタートして最高賞に輝いた。窯元で父の学さん(59)と新たな地で設備を整え、作陶に励む。「避難により資材調達などが大変だが、さらに成長したい」。若き作家は江戸時代から続く伝統の窯を守る決意を新たにしている。
賢さんは、3人兄弟の長男で唯1、陶芸の道を歩んでいる。物心ついた時から志し、双葉高を卒業後、栃木県の文星芸術大に進学。人間国宝の三浦小平二さんや島岡達三さん(ともに故人)らの指導を受け、技術を磨いた。同大の大学院修了後、同県益子町で陶芸に関わる仕事をし、平成22年、古里に戻った。
父と共に作陶を始めた直後、東日本大震災が発生。浪江町の自宅や工房、店舗は瓦が落ちるなどした。片付ける間もなく、福島第一原発で水素爆発が起きる。第一原発からちょうど10キロの場所で、着の身着のまま古里を離れ、福島、いわきの両市などで避難生活を送った。
「陶吉郎窯の伝統を残したい」との思いが、困難に立ち向かう力となった。父と共に作陶できる場所をいわき市内で探し、震災から3カ月後の23年6月、県の補助金などを受けて窯を構えた。
浪江町には、代々伝わる窯室が階段状の「登り窯」など4種類の窯があったが、現在はガス窯のみ。自宅から持ち出したへらなど2箱分の道具を使い、以前から付き合いのある業者から調達した土や原料で上薬を調合して作品を仕上げている。
受賞作は4、5月の2カ月で完成させた。青白磁と呼ばれる磁器で、淡い水色をしている。海や空など自然の情景をイメージし、波や風のように見える器のへりにこだわった。乾燥させた後に先端部分を何度も丁寧に磨き、焼き上げた。難易度が高い青白磁の彩りや、繊細な造形が審査員に高く評価され、3度目の応募で栄冠を手にした。
学さんは、「大堀相馬焼を残していく上で、後押しになる」と受賞を喜ぶ。賢さんは「陶芸をする環境を整えてくれた家族に感謝している。父と切磋琢磨(せっさたくま)し、さらに素晴らしい作品を完成させたい」と意気込んでいる。
■県内外で作陶再開 大堀相馬焼窯元
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響で避難を余儀なくされた各窯元は、県内外で作陶活動を再開している。
大堀相馬焼協同組合は昨年7月、二本松市小沢工業団地に「陶芸の杜おおぼり二本松工房」をオープンさせた。共同の窯や作業場、販売所を備えている。
京月窯の近藤京子さん、半谷窯の半谷貞辰さんは福島市に拠点を移し、いかりや商店の山田慎一さんは白河市、栖鳳(せいほう)窯の山田正博さんは矢吹町でそれぞれ新たな窯を設ける準備を進めている。