【第1部 安心の尺度】(1)神様が与えてくれた命 運命の子…揺れる心

人類で初めて放射能の存在に気づいたのはフランスの物理学者アンリ・ベクレル(一八五二~一九〇八年)だった。ウラン塩が放つ放射線が写真乾板を感光させることを偶然、発見する。「人類に最も大きい夢をもたらした」として、キュリー夫妻と共にノーベル物理学賞を受賞した。今年で百十年になる。だが、ベクレルは想像しただろうか。原発事故で拡散した放射性物質が、これほど人々を不安に陥れるとは。今なお続く放射線との戦いを追う。(文中敬称略)
栃木県那須塩原市の3DKのアパート。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で双葉町から避難している池田美智子(39)は、生後七カ月の次男芳稀(よしき)を慈しむように抱き寄せた。
「家族が増えるって本当に幸せなこと」
長男幸矢(11)が生まれて以来、十年ぶりに授かったわが子を見詰めた。仕事の都合で仙台市に単身赴任している夫幸司(38)も年末に帰ってきた。原発事故前に暮らしていた一戸建てのマイホームに比べれば、決して満足な生活とはいえない。ただ、四人家族になって初めて迎えた穏やかな正月だ。
夫が二人の子どもをかわいがる姿に、美智子は確信した。「出産の決断は間違っていなかった」
◇ ◇
夫婦には共にきょうだいがいる。「幸矢を一人っ子にしたくない」。思いは同じだった。しかし、なかなか二人目の子宝に恵まれなかった。
美智子が、芳稀を身ごもったことが分かったのは、原発事故から七カ月がたとうとしていた平成二十三年十月九日。幸矢の十歳の誕生日だった。
幸矢の「二分の一成人」を祝おうと、家族と一緒に外食してから帰宅した。「何となく、ダメもと」で妊娠検査薬を使ってみると、妊娠の兆候を示すラインが浮かび上がった。
「四十歳を前に、もう一人子どもを産みたい。でも、もう無理かな」。半ば諦めかけていた。「どうして僕には、きょうだいがいないの。きょうだいが欲しい」。何度となくせがまれていた。
「幸矢の誕生日に妊娠が分かり、運命的なものを感じた」
だが、素直に喜べない、もう一人の自分がいた。
◇ ◇
妊娠が判明する一カ月前の九月九日。美智子は自分の耳を疑った。「尿から放射性セシウムが検出されました」。千葉市の放射線医学総合研究所(放医研)で受けた内部被ばく検査の結果だった。
「私は被ばくしている」。その場に立ちすくんだ。
なぜ原発事故後の今になって妊娠したのか。放射線が胎児に与える影響はどれほどなのか。産んでいいのか…。美智子の胸に、生まれて来る新たな命への漠然とした不安が次々と押し寄せた。
美智子は原発事故が起きた「3・11」当時、福島第一原発から約三・五キロしか離れていない双葉町の特別養護老人ホームで利用者を避難誘導していた。今でも「あの日」の光景を鮮明に覚えている。利用者を双葉高のグラウンドまで避難させた時、空から小さな綿ぼこりのようなものが舞い降りていた。
「まさか自分の身に放射能が降り注ぐなんて…」。その時は知る由もなかった。