【第1部 安心の尺度】(2)神様が与えてくれた命 爆発、どこに逃げる…


池田美智子(39)のノートには、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きた平成二十三年三月十一日からの記録がびっしりと書き込まれている。間もなく一年十カ月がたつが、ページをめくると記憶が鮮明によみがえる。
震災当時、美智子は双葉町の特別養護老人ホーム「せんだん」に勤務していた。東京電力福島第一原発からは約三・五キロしか離れていなかった。入所するお年寄りと何気ない会話を交わす日常は、「3・11」を境に一変した。
◇ ◇
経験したことのない大きな揺れが施設を襲った。美智子は、利用者を置いて逃げるわけにはいかなかった。「避難しよう」。一夜明けた十二日朝、誰からともなく声が上がった。だが、利用者をどこに連れて行けばいいのか、見当もつかなかった。
同日午後二時ごろ、施設に一本の電話がかかってきた。受話器を取った美智子の耳に届いたのは、双葉町長・井戸川克隆の怒鳴るような声だった。「なぜ逃げないんだ。もう駄目だぞ!」
ただならぬ気配を感じ、施設長岩元善一(65)に電話を代わった。利用者を双葉高に運び、ヘリコプターで避難させることが決まった。
岩元は「無我夢中だった。所々、記憶がない」と当時の混乱ぶりを振り返る。
美智子は身元が分かるように利用者全員にガムテープを張って名前を書き、双葉高を目指した。午後三時半すぎ、双葉郵便局を通り過ぎようという時だった。美智子の耳に「ボン」という音が聞こえた。後から分かったが、第一原発1号機の水素爆発だった。
双葉高のグラウンドに到着すると、大量のほこりが降り注いでいた。自衛隊や警察が慌ただしく動き回る。「ここから逃げてください!」。防護服を着た警察官が駆け寄ってきて大声で叫んだ。
「今逃げてきたばかりなのに。どこに逃げるの…」
行く当てを失い、再び施設に戻った。たまたま通り掛かった自衛隊員に助けを求めた。隊員がどこかに連絡を取ると、施設に何台ものジープが来た。「双葉町は川俣に向かう」。美智子は、井戸川が話していたのを思い出した。利用者と共に川俣町に向かった。
◇ ◇
利用者の次の受け入れ先にめどが付いたのは一週間後の三月十九日だった。「ようやく家族と会える」。先に避難していた夫幸司(38)と長男幸矢(11)が待つ栃木県那須塩原市へ急いだ。今後の不安はあったが、家族と暮らすことで安堵(あんど)の気持ちも芽生えてきた。
約四カ月後の七月五日。避難先での生活に慣れ始めた美智子の元に、岩元から電話がきた。「千葉県の放射線医学総合研究所で検査を受けることができるか」。対象は原発事故後も避難せずに双葉郡内などに残っていた住民五十二人だった。(文中敬称略)