帰れない(中) 復興新聞に心一つ つながりを維持願い届け

最新号の鵜住居復興新聞と発送作業をする地域の人たち=10日、釜石市鵜住居町

■河北新報社 釜石支局 玉応雅史支局長 47

 昨年12月、1枚のはがきが河北新報社釜石支局(岩手県釜石市)に届いた。
 差出人は取材で知り合った前川慧一さん(76)。釜石市鵜住居(うのすまい)町の自宅を東日本大震災の津波で失い、市内の仮設住宅で暮らしていた。岩手県宮古市に住む娘夫婦宅のそばに新たに居を構え、妻(74)と2人で生活を始めた、と記されていた。

 年が明けて前川さんに電話した。「まだ仮設にいる人たちを思うと、心苦しい」。古里に背を向けたような後ろめたさを抱える前川さんの胸の内に触れ、「落ち着けて良かったですね」と軽々しく励ましたことを恥じた。

 前川さんは釜石市で生まれた。最初は、45年住み慣れた鵜住居地区での自宅再建を考えたという。土地区画整理事業は昨年11月、工事が本格的に始まった。住宅再建にはあと2~4年かかる。

 「80歳では自宅再建のめどが立たない。残りの人生を娘や孫のそばで暮らすのがいいかも」。苦渋の決断だったようだ。

 やむを得ず古里を離れる人がいる一方で、地元に踏みとどまり「いつかは戻ってきて」と願う人たちもいる。
 住民団体「鵜住居地区復興まちづくり協議会」と「地権者連絡会」は昨年2月、「鵜住居復興新聞」を発刊した。復興事業の解説、提言、復活した祭りの紹介...。A4判10数ページの冊子には、鵜住居の「今」があふれる。今月発行された最新号は第9号になった。

 編集担当の佐々木一正さん(62)は「鵜住居の復興に向け住民の力を結集するには、情報の共有が欠かせない」と言う。佐々木さんも自宅を失い、みなし仮設で暮らす被災者の1人だ。

 部数は約1600部。岩手県内他市町村に避難する123世帯、北海道から福岡県まで県外へ行った44世帯を含む市内外の計約千世帯に郵送する。鵜住居の被災していない約600世帯にも配布し、地域のつながりを保とうと懸命だ。

 鵜住居には、防災教育を受けた小中学生が率先して避難し助かった「奇跡」と、避難してきた大勢の住民が犠牲になった鵜住居地区防災センターの「悲劇」があった。

 悲しみと称賛、怒り、悔しさ、後悔...。震災から3年になろうとする今も、光と影の複雑な思いが地域を覆う。そんな中、復興新聞は住民が心一つに、古里の未来を築こうと前を向く意思の表れでもある。「戻れないなら孫子の代でもいい。鵜住居を忘れないで」。新聞に込められた地元の人たちの願いが、届きますように。

■釜石市鵜住居地区

 震災犠牲者は582人。市全体の56%を占め市内最大。震災前(平成23年2月)3774人だった地区人口はことし1月現在で2552人に減少。実際の居住者はさらに少ないとみられる。新聞作りは住民の自主活動で、市などの協力を得て発行。まちづくり協議会は活動費の寄付を呼び掛けるとともに、新聞を送るため、鵜住居から転居した人の連絡を求めている。連絡先は事務局 電話0193(55)5546。