二つの風(上) 生きる姿に胸打たれる 教訓伝え風化防げ

■河北新報社 石巻総局 丹野綾子記者
3年近い月日が流れ、東日本大震災の津波被災地は、復興の足取りを速めようとしている。その一歩一歩は震災の爪痕を消し、ともすれば記憶を風化させることと表裏一体でもある。
平成24年春、宮城県女川町の担当になった。震災から1年がたっていたが、4階まで津波が押し寄せた役場庁舎は残っていた。廃虚と化した建物を初めて見て、息をのんだ。被災直後の女川を知らなくても、どれだけの津波が襲ったかが生々しく伝わってきた。
庁舎は間もなく、取り壊された。現在、周辺では大規模な造成工事が進む。町は中心部一帯を平均10メートル前後かさ上げし、公共施設や商店街を集約する新たなまちづくりを目指す。震災遺構として一時保存を検討した3つの倒壊建物も、2つは解体が決まった。
当初は「遺構よりも復興」と思っていた。日々、造成で変貌する地域を目にするうち、「新しい町ができれば震災のことは分からなくなる」と考えも少し変わってきた。
同じような思いを抱いた地元の中学生たちは動いた。町内各地の浜など21カ所に、津波到達点より高い場所に石碑を建てる「いのちの石碑プロジェクト」を計画。募金で資金を集め、昨年11月に第1号が設置された。教訓を伝えようとする意思が若い世代に育っていることは、震災遺構以上に風化を防ぐ力があるのではないかと感じた。
風化にさらされているのは、教訓だけではない。復興という言葉とは程遠い状況が続く被災者が、顧みられなくなっていく現実もある。犠牲者の遺族を取材する中、理不尽な形で家族を突然失う悲しみは、時間がたっても癒えることはないと痛感した。
長引く仮設住宅での不便な暮らしや住宅再建の難しさ、見通せない将来、子育て環境の悪化、それらに起因する人口流出...。基幹産業の漁業・水産業も福島第一原発事故による風評被害や販路喪失は、容易に解決できない。被災者にとって震災との闘いは今も日常そのものだ。
自分を振り返っても、阪神大震災の被災地への関心は正直、時間の経過とともに薄れていった。その場所から離れるほど、風化が進むのはやむを得ないのかもしれない。
ただ、被災者と取材で向き合い、必死に生きる姿に何度胸を打たれたか分からない。被災地の記者としてその息遣いを伝える記事の意義は、薄れるものではない。被災者が明日への希望を抱き、外の人が被災地を忘れないでくれるように。
■女川町の被災状況・復興計画
人口1万人のうち827人が死亡・行方不明となり、住宅の7割近くが全壊。人口や町の規模に対する被害状況から「最大被災地」の一つとされる。町は平成30年度を最終年度とする復興基本計画を策定。中心部は大規模なかさ上げと丘陵部の造成で土地を確保し、中枢機能と住宅を再建。離半島部は防災集団移転で住民の自宅再建を図る。震災後、人口流出が加速し、現在の人口は約7500人。