第1部 ふくしまの叫び(3) 奪われた「信頼関係」 再開の道筋も見えず

損害賠償の関係資料に目を通す坪井さん。古里に帰還しても仕事を再開できず、損害賠償に頼らざるを得ない日々が続く=田村市都路町

 「放射性物質がなくなったわけではない」。政府の避難指示が解除され8カ月余りが過ぎた田村市都路町古道の合子荻田地区。原木シイタケ農家坪井哲蔵さん(66)は自宅周辺を見回した。解除後も住民の帰還は進まず、人通りは少ない。

 地区内の住宅地などは国直轄の除染が完了している。自宅近くの集会所にあるモニタリングポストは毎時0・11マイクロシーベルト程度の空間放射線量を示す。だが、集落を取り囲む山林の除染は手付かずのままだ。

 その山林に、ほだ木置き場がある。東京電力福島第一原発から西側に18キロほど離れた場所だ。シイタケの菌を繁殖させた約2万本が並ぶ。原発事故発生後は放置され、もう二度と使えない。


 地区内では政府による露地栽培の原木シイタケの出荷制限が今も続く。キノコ類は放射性物質を吸収しやすく、解除の見通しは立たない状況だ。

 地元の阿武隈山系で伐採されたナラやクヌギの原木は、シイタケ栽培に最適だった。菌を打ち込んで2年ほど、日の当たり具合などを調整しながら管理すると、良質なシイタケが次々と採れた。他県の同業者からうらやましがられた。

 誇りを持ってできる仕事はシイタケ栽培だけだ-。坪井さんは作業の再開を切に願う。収穫の場面を想像する。どうせ売れないとの思いが心を埋め尽くす。「原発から20キロ圏内で採れたシイタケなんて食べたいと思わないだろうな。風評は簡単には消えないよ」

 良質なシイタケを作り、消費者や取引先と信頼関係を築いてきた。しかし、原発事故で失われた。回復する手だては見当たらない。悔しさが込み上げる。


 原発事故による損害賠償の対象に、不耕作に伴う営業損害がある。坪井さんは平成24年度以降のシイタケの不耕作に伴う営業損害の賠償金を受けるため、東電と調整を進めている。1年近く東電の担当職員と話し合いを重ねているが、いつ、どのぐらいの金額が支払われるのか、「確約」は得られていない。

 露地栽培の原木シイタケの出荷制限が解除されれば、すぐにでも作業を始めたい。だが、数万本のほだ木を新しくし、シイタケの菌を購入しなければならない。負担は1000万円を超えるだろう。東電から支払われる一人月額10万円の精神的損害賠償は生活費に充てざるを得ない。

 再開に向けた費用をどこから捻出したらいいのか。「原発事故のせいで、すべて台無しになっちまった」