第3部 課税(22) 就労不能も対象に 控除などで異なる負担

就労不能に伴う損害賠償(就労不能賠償)は東京電力福島第一原発事故前の雇用主に代わり、第三者の東京電力が給与分を支払う仕組みだ。原発事故当時、避難区域に生活の拠点や勤務先があり、原発事故による避難で就労が困難になったため、減収・失業した住民が対象となる。この賠償は「所得」とみなされ、営業損害賠償などと同様に課税の対象となる。
就労不能賠償が支払われる期間は今年2月末で原則終了した。しかし、支払い期間や課税には、ともに「個別の事情」に配慮した措置がある。納税をめぐる状況は個々の被災者ごとに異なる。
富岡町上郡山の元会社員坂本秋夫さん(61)は、ほぼ寝たきりの母親(87)、妻(54)と3人で三春町の熊耳仮設住宅で暮らす。先の見えない状況が続いていた震災の1カ月後、避難所だった三春町の体育館で電話が鳴り、雇用先から解雇を告げられた。
坂本さんは小高工高を卒業後、川崎市の電機関係の会社に就職。約5年間勤めて地元に戻り、東電福島第二原発の建設作業員を経て、富岡町に営業所を置く資材販売業者に入社した。原発事故が起きたのは約30年間勤続し、定年を見据えていた57歳の時だ。避難に伴い母親の介護の負担が増した。年齢的な不安もあり、再就職には踏み切れなかった。
以来約4年間、就労不能や精神的損害など、さまざまな名目で支払われる賠償金が生計を支えている。就労不能賠償は、事故前の給与収入と同額の年間約300万円を東電から受け取る。現在の年収の半分程度を占める。
就労不能賠償が課税対象となるのを知ったのは確定申告時期を控えた24年1月ごろだった。「働いていて得るはずだった収入と考えれば、納税はやむを得ない」と思い、申告手続きに臨んだ。坂本さんの場合、就労不能賠償に所得税は課されなかった。母親と妻の扶養控除などが適用されたためだった。
坂本さんは災害公営住宅への入居を希望するが、後々はいわき市内に生活拠点を構えるつもりだ。この先、どのような障壁が待ち構えているか分からない。いざという時に使えるお金を少しでも多く、手元に残しておきたい。母親の介護を理由に、「個別の事情」について東電と協議した。就労不能賠償の支払い終了が、28年2月まで1年延長された。
坂本さんは「納税を減免され、賠償の延長も認められた自分は恵まれている」と安堵(あんど)する。一方、同じ富岡町民であっても就労不能賠償を打ち切られたり、納税に苦慮したりする知り合いも少なくない。心中を察すると、複雑な気持ちになるという。
=第3部「課税」は終わります。