第5部 財物(31) 勧奨地点に「空手形」 資産評価求めADR

南相馬市原町区馬場地区は阿武隈山系の麓に広がる。東京電力福島第一原発事故直後は局地的に放射線量の高い場所が点在した。避難区域が設けられた同市小高区のように全域に避難指示が出ることはなかったが、地区内327世帯のうち39世帯が特定避難勧奨地点に指定され、政府に退避を促された。
「馬場地区は原発事故で人々の暮らしが大きく変わってしまった。状況は避難区域そのものだよ」。自宅が勧奨地点に指定された建設業荒孝一郎さん(61)は肩を落とす。
事故直後、放射線量が高いと知り、同居していた息子夫婦や幼稚園児の孫らと東京都や新潟県に避難した。留守にした数カ月で家はネズミなどの小動物に荒らされた。地元の顔見知りも土地を離れ、事故前のような当たり前の日常は姿を消した。
荒さん宅は平成23年8月に勧奨地点となった。その後の政府関係者の発言を今でも覚えている。避難先での住民説明会だった。非公式ながら「勧奨地点の損害賠償などは避難区域の小高区などと同等に対処するだろう」との考えを示した。
それは住民の気持ちを静めるための「空手形」だったのか。東電は24年7月にまとめた賠償基準に家の補修費などを盛り込んだが、避難区域に認めた資産価値の低下に対する賠償には触れなかった。
東電は政府などと協議して賠償の取り扱いを決めていた。「小高と同じになると信じていた。あまりにも基準があいまいで、不公平ではないか」。現在、同市鹿島区の仮設住宅で暮らす荒さんは当時を思い起こすたびに、怒りが込み上がるという。
政府と東電の対応に納得できない荒さんら勧奨地点10世帯と非指定の近隣住民1世帯の計11世帯は資産価値を失った土地などの賠償を求め、原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(ADR)による和解仲介を申し立てた。その結果、価値の低下が認められ、11世帯に合わせて約4億3000万円を支払う和解案が示された。
東電は「個別に調査した結果」として大筋でのむ形となったが、大きな課題を積み残した。非指定の近隣住民1世帯に対する賠償には「支払うに足りる事情がない」と応じなかった。この世帯も避難などで家屋は荒れ果てていたが、一線を引かれた。賠償の行方を注目していた馬場地区や周辺地区の非指定の住民に動揺が広がった。
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土地や家に対する家人の愛着は他人に知り得ない。原発事故で低下した物の価値を金額で評価するのは難しい。政府や東電の賠償内容に納得できず、いら立つ住民は少なくない。所有者の価値観と賠償額の差は詰められるのか。