福島をつくる(65) 第5部 酒づくり 新銘柄 一歩一歩味に磨き

「一歩己」を手に、より良い酒づくりへの決意を新たにする賢征

 「うちの伝統の味とは異なる自分の酒を造りたかった」。古殿町にある豊国酒造の矢内賢征(けんせい)(29)は醸造タンクの温度計を見詰めた。愛情を込めて管理しているのは平成23年に自身が築いた銘柄「一歩己(いぶき)」のタンクだ。今年で6度目の仕込みが始まった。
 早大卒業後、21年に実家に戻った。22年、半年間にわたり県ハイテクプラザ会津若松技術支援センターと県清酒アカデミー職業能力開発校で杜氏(とうじ)の技術を学んだ。そして造り始めたのが「一歩己」だった。
 代表社員の父定紀(64)や杜氏として長年酒づくりを主導していた簗田博明(74)=岩手県=が「自分なりの酒を造ってみろ」と背中を押した。「一歩己」の名前には自分自身が一歩ずつ前へ進むという思いを込めた。

 江戸時代末期創業で180年の歴史がある豊国酒造には、全国新酒鑑評会で9年連続で金賞を受賞している銘柄「東豊国」がある。その中でも大吟醸「幻」は杜氏としての技術の粋を集めた酒だ。酒造好適米の山田錦を手で丁寧に洗う。小まめな温度管理と熟練の技で爽やかな口当たりと上品な味わいを生み出す。それだけに値が張る。
 賢征は価格を抑え、大吟醸に味を近づけた酒を造りたかった。最初に手掛けた「一歩己」には苦い思い出がある。酒米には美山錦を使い、「幻」と同じように仕込んだ。子どものころから見ていた簗田のやり方をまねた。だが、出来上がった酒は渋く、苦みが残った。理想にはほど遠かった。「コメの質の違いを考えていなかった。人のまねだけではだめだった」
 1年ごとに少しずつ工夫を重ねた。香りをどう出すか、キレを良くするには...。味を変えた最も大きな要因は発酵段階でアルコール度数を落としたことだ。発酵時、度数が高いと酵母の活性が弱まり、酒に苦みが出てしまう。最初に造った酒は発酵中の25日間で17%に保っていた。毎年少しずつ度数を落とし、今は25日間で16%にした。温度管理に気を遣った。2、3時間ごとに温度計をチェックした。夜中でもタンクを見て回った。
 度数を下げると口当たりが軽くなる。酒のうまみも強く出るようになった。今では舌が肥えた客にも認めてもらえる自信がある。

 賢征は25年に簗田から杜氏の座を譲り受けた。伝統の「東豊国」の味も守らなくてはならない。責任は重くなった。10月から翌年4月までの仕込み時期は気が抜けない日々が続く。温度管理のため夜は蔵に泊まり込むことが多い。「うまくできるか」。毎日が緊張の連続だ。
 仕込みの量は「東豊国」が圧倒的に多い。「一歩己」の知名度はまだまだ低いと感じている。それでも決して仕込みに妥協はしない。「一歩一歩、魂を込めて新しい味をつくっていく。一歩己の味が広がり、福島県の酒のうまさを伝えられれば」。賢征は新しい銘柄に自らの夢を託す。
 県内には1つの銘柄で、異なる味の酒を追究する蔵元もある。(文中敬称略)