(22)広野で勝負 農業再生の力に

春風がやさしく、真っ黒な土をなでた。まるでゆっくりと、大地の恵みを育む養分を注ぎ込むかのように。
広野町上北迫の農業横田和希(35)は1カ月後に田植えを控えた田んぼで、あぜ道や水路の手入れなどに汗を流す。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後、5回目の作付けを迎える。「今年もうまいコメが取れますように」。目を閉じ静かに祈った。
原発事故直後、緊急時避難準備区域が設定された広野町は一歩ずつ復興の歩みを進めている。役場前に公設民営の商業施設「ひろのてらす」がオープンした。JR広野駅東側には6階建てのオフィスビル「広野みらいオフィス」が完成し、にぎわいが戻りつつある。その半面、人の手が入らず雑草の生い茂る田畑が点在している。
横田は光と影が混在する地域の担い手農家だ。町北部にある山あいの集落に母、妻、娘3人の6人で暮らす。10年前に急逝した父から、約1ヘクタールの田んぼを継いだ。高齢化などにより営農を諦めた世帯から土地を借り受け、今では町内で最も広い約24ヘクタールに作付けしている。県内水稲農家の平均耕作面積の1・4ヘクタールを大きく上回り、個人経営としては全県的にも有数規模だ。
今年は県産のオリジナルブランド米「天のつぶ」をはじめ、ひとめぼれ、コシヒカリ、飼料米など約100トンの収量を見込む。「原発事故に見舞われた古里の農業を再生する力になりたい」と表情を引き締める。
会社勤めをしながら農業に励んでいた生活を震災と原発事故が一変させた。平成23年の春、広野ではコメの作付けが中止された。田植えに向け水に浸していた種もみを全て捨てた。言いしれぬ絶望感。「やりきれない思いがあふれた」と振り返る。
いわき市内で避難生活を送り、知り合いの農家を手伝った。自分の田んぼに入れない悔しさだけが込み上げた。やはりコメ作りで生計を立てたい。いつの日か広野に戻り、専業農家として勝負する。心は決まった。(文中敬称略)
※広野町の避難区域 広野町は平成23年4月、東京電力福島第一原発事故に伴う緊急時避難準備区域となり、同年9月に解除された。町はこの年、町内での水稲作付けを中止した。翌年、営農再開に向け町内40カ所でコメの実証栽培を行い、25年に営農を再開した。町の人口は5086人(2月29日現在)で、帰町したのは約半数の2471人(3月23日現在)。
土が目を覚ます。豊かな収穫への祈りを込めて、種まく春が巡って来た。県内では東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で傷んだ農業を再興しようと、新しい力が動きだしている。地域の中核となり、風評という逆風に負けず明日に挑む取り組みを追う。