(23)誠実に作り続ける

自動種まき機に種もみを入れる横田

 今月下旬に迫った田植えに向け、土を耕す。種もみを用意し、発芽を促す。毎年春、繰り返される神聖な「儀式」だ。黙々と作業を続ける広野町上北迫の農業横田和希(35)の脳裏にはふと、苦しかったあの時の思い出がよぎる。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きた平成23年、町内でコメの作付けは中止された。緊急時避難準備区域が解除された同年9月、農家の仲間と雑草に覆われた田んぼの土起こしに汗を流した。作付けできる日が再び巡ってくるのか。「祈るような思いで作業に打ち込んだ」と振り返る。

 広野町は震災の翌年、営農再開に向けコメの実証栽培に乗り出す。横田は4ヘクタールに作付けした。自分の田んぼに、自ら育てた苗を植えていく。かけがえのない喜びに震えた。
 稲の放射性物質吸収を減らす効果があるカリウム肥料を春と夏、土に混ぜ込んだ。取れたコメに影響があれば、稲作も専業農家の夢も諦めるしかない。不安な日々が続いた。秋には約10トンを収穫。放射性物質検査の結果、いずれも食品衛生法の基準値を下回り、晴れていわき市の米穀店に出荷した。
 町内には約500戸の水稲農家があるが、震災後に作付けを再開したのは約130戸にとどまっている。高齢化や後継者不足で離農する世帯も徐々に増えている。横田は管理する人がいなくなった田んぼを借り受け、25年には8ヘクタール、26年には12ヘクタール、27年には24ヘクタールと栽培する規模を増やしていった。
 県産農産物に対する風評が続く中、地元JAをはじめ首都圏の飲食業者などにも販路を広げている。他地域産に比べて安値で取引されることもあるが、安全なコメを誠実に作り続けていけば消費者の信頼と値段が戻る日は必ず来ると信じている。

 悩みもある。個人経営としては県内で有数規模の稲作農家だが、ほぼ一人で田んぼを管理している。人を雇う金銭面の余裕はなく、農繁期には車のライトを頼りに夜まで草取りなどに没頭する。
 より効率的に作業ができれば収益も上がるが、ほ場整備が進まず小さな田んぼが並ぶ町内では限界がある。それでも、30ヘクタールまで作付面積を広げたいと夢見る。その日に向け、農業法人の設立も視野に入れている。「基盤の強い組織がないと、広野の農業再生は担えない」(文中敬称略)