患者に寄り添い続ける 看護師 吉村菜央さん 23 相馬

あの時から、何気ない日付が多くの人にとって忘れ得ぬ日になった。
「3・11」
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年。県民はそれぞれの想(おも)いを胸に刻んで歩み続けている。
あの日、あの時に出会った人の今を追った。
■「一歩踏み出さなければ」
新地町の実家は津波に流された。父親の命まで奪った。
「地震と病気の不安を抱える患者さんを1日も早く安心させてあげたい」。18歳の少女は母久美子さん(50)の背中を追った。
相馬看護専門学校の入学式で決意を示した。「(震災で)時間は止まったままだが、一歩を踏み出さなければならない」
【平成23年4月23日付・浜通り版】
夢はかなった。
看護師の国家試験に合格し、平成26年4月から公立相馬総合病院で働いている。患者さんの血圧測定や検査、検査結果の記録...。分刻みで動く毎日は先輩たちに助けてもらってばかり。4月から3年目に入り1年生を指導する立場になる。まだまだ半人前だが、1日も早く後輩から頼られるよう学び続けていく。
■「仲間がいたから」
震災直後は将来への不安で前が見えなくなっていた。相馬看護専門学校の入学式があったのは、震災発生から41日後の4月21日。代表で述べた誓いの言葉は、自分を奮い立たせるためだったのかもしれない。
同期は41人いる。相馬市、南相馬市、新地町など沿岸部の出身者が多かった。みんな震災で心が傷ついていた。東京電力福島第一原発事故の影響もあって不安だらけのスタートだった。
「つらい経験をしたのは自分だけじゃない」。
それぞれが、思いをのみ込んでいた。口に出してこそ語らないが、同期の絆は次第に固く強く結ばれ、同じ目標に向かって懸命に学んだ。
仲間がいたから3年間の学校生活を乗り切れた。
■「たくさんの笑顔と『ありがとう』のために」
仕事に就くと、震災と原発事故で心に傷を負っている人が想像以上に多いと感じた。治療しているけがや病気以外に心に重いストレスや悩みを抱えている。
「つらい時こそ笑顔で接する」。
自分自身も被災したからこそ、そんなことに気付けるようになった。
入学式で述べた言葉が頭を離れることは片時もない。常に笑顔で、患者さんの人生に寄り添う気持ちを忘れずに歩んでいきたい。
