帰りたい...つぶやく母 埼玉・加須市に避難 渡部三恵子さん 67 双葉

加須市の県営住宅で母親と一緒に過ごす渡部さん(左)

■「新しい生活を始めたい」

 東京電力福島第一原発事故に伴う最後の避難所となった埼玉県加須市の旧県立騎西(きさい)高に平成23年3月末に母親と夫、義母で身を寄せた。利用者が減る中、介護が必要な母のために避難所を離れなかった。
 「埼玉県内に中古住宅でも探し、新しい生活を始めたい」


 避難所は26年3月に閉じられた。閉鎖を延ばすよう訴えたがかなわなかった。やむなく埼玉県加須市の県営住宅に引っ越したのは25年10月。夫と母、義母の4人で暮らしている。
 多くの双葉町民が暮らすいわき市周辺に移ることも考えた。ただ、一日のほとんどをベッドで過ごすようになった96歳の母親のことを考えると環境を変えるのにためらいがあった。

■「みんなで助け合いながら生活できた」

 旧県立騎西高の避難所では2年ほど暮らした。すぐに出るはずだったが、避難所に入って間もなく母が肺炎で入院した。避難生活のせいもあったのだろうか。母は車椅子が必要な体になり、生活できる環境が限られるようになった。
 支援の手もほしかった。避難所はプライバシーがなく不便だったが、周りに何かにつけて助けてくれる人がいた。周囲の支え合いが何よりありがたかった。

■「ストレスがたまる日々」

 県営住宅は玄関の段差が低く、車椅子でも何とか暮らせる。
 新しい生活で少しは心が晴れるかと思ったが、そう甘くはなかった。かえって苦労は増えた。夫は働いており、一日のほとんどを母と過ごす。以前に比べて会話は減り、お互いにストレスがたまっていると感じる。それに母は日に何度も「双葉町に帰りたい...」とつぶやく。
 自宅は帰還困難区域にあるので帰れないと繰り返し説明するたびに切なくなる。気持ちは痛いほど分かる。
 母は震災後、一度も古里の土を踏んでいない。せめて一度だけでも見せてあげたい。
 いつになったら元のように古里で暮らせるようになるのか。
 誰でもいいので教えてほしい。それが今の唯一の願いだ。

埼玉県加須市の旧騎西高で避難を続ける渡部さん【平成24年12月2日付・避難先から】