必ず帰還し農業再開 農業 西内幸雄さん 75 富岡

■「一生懸命やれば帰れる」
5月に町臨時職員になった。ビッグパレットふくしまの避難所でフロア班として清掃や食事の配膳、人数確認などを行っている。避難所への不満はないが何もしないでいると駄目になる。
一生懸命、何かに取り組むことが地元に戻れる日が早まることにつながる気がする。
【平成23年6月11日付、3・11あの時から】
郡山市に買い求めた中古住宅からほぼ毎日、古里・富岡町に愛車のトラックを走らせている。いつ帰還してもいいように自宅や周辺を片付けている。往復で3時間かかるが、故郷に戻れるだけで自然と気持ちは軽くなる。富岡に向かうたびに思うことがある。
自分は富岡に戻らなくてはならない-。
思いは増すばかりだ。
■「困難な時にこそ」
郡山市のビッグパレットふくしまの避難所を出た後は、近くにある南一丁目仮設住宅に移った。初めのうち、生活は落ち着かなかった。草刈りやごみ回収の段取りをして、みんなが暮らしやすい環境を整えた。富岡町では地区の山を管理する組合長や地域の役員などもこなしていた。人のために働くことはいとわない。町の臨時職員を務めたのも、そうした気持ちからだった。困難な状況だからこそ助け合おう、人のためになることを率先してやろうと思っていた。
■「ついのすみかにはしない」
郡山市の中古の一戸建てに引っ越したのは昨年の春。ただ漫然と避難生活を送るのは御免だった。新しいことに挑もうと勉強して古物商の資格を取った。
だが、郡山をついのすみかにするつもりはない。思い出がたくさん詰まった富岡で土地や墓を守り、コメ作りをしたい。
水田は親から受け継いだ大切な宝物。自分で作付面積の拡大にも取り組んだ。何としてももう一度、自分の田んぼでコメを作りたい。その日のために新しいトラクターを買った。周りの人で機材が必要になれば手伝いに行くつもりだ。戻る準備はできている。帰還が始まったら真っ先に足を踏み入れて農業を再開する。土と生きる生活に戻れる日まで富岡に通う日は続くだろう。
