命を守る重責伝える 棚倉町シルバー人材センター常務理事兼事務局長 薄葉義博さん 62 棚倉

■「冥福祈るしかなかった」
白河市の葉ノ木平で大規模地滑りが起きた時、白河広域市町村圏消防本部の警防課長だった。多くの災害現場を見てきたつもりだった。自負は吹き飛んだ。想像を絶する土砂の量だった。救助を指揮したが、犠牲者は13人に上った。
「ひたすら冥福を祈ることしかできなかった」
【平成23年4月10日付・震災から1カ月特集】
定年退職して郷里の棚倉町のシルバー人材センターに勤務し、センターの登録者124人への仕事の割り振りなどを担当している。会員の作業中の事故を未然に防ぐのも役割の一つ。現場に足を運んで、タイミングを見て声を掛けるようにしている。
定年退職して間もなく2年。穏やかな日々を送っているが、葉ノ木平のことは忘れたことがない。いや、忘れられない。
■「経験を次に」
葉ノ木平の大規模地滑りの後、白河消防署と棚倉消防署の署長を務めた。
経験を次の世代に伝えることが重要な任務の一つになった。ベテランの消防職員が大量に退職する時期に入っていたためだ。特に若手に思いを語り継ぎたかった。安全管理の面を再三にわたり強調した。自分の身すら守れないようでは、要救助者の命は守れない。それが言いたかった。消防人としての基本を繰り返し説き続けた。経験をいかに継いでいくのか。常に意識しなければならない。
■「教訓を忘れない」
新しい職場に慣れ始めた昨夏、妻(とも子さん)と共に三陸の沿岸部を訪れた。足は自然と現場に向いてしまう。大津波で深刻な被害を受けた地域を自分の目で確かめたかった。周囲につち音は響いていたが仮設住宅が立ち並び、高台への移転も十分には進んでいないように感じた。あらためて自然災害の恐ろしさ、怖さを実感した。
消防人としての役割を終えた今も経験を語るために講師の依頼を受ける。私たちは東日本大震災で災害はいつ、どこで起こるか分からないという教訓をあらためて身をもって学んだ。多くの犠牲の上に成り立っている尊い教訓を後世に伝えるために、立場は変わっても、できることに全力で臨んでいきたい。
