[浪江]朝田英洋さん 49 家族戻れる道筋を 会社の命脈つなぐ

東京電力福島第一原発事故に伴う居住制限、避難指示解除準備両区域の避難指示が、31日に浪江町と飯舘村、川俣町山木屋、4月1日に富岡町で解除される。原発事故から7年目となる古里で生活を再開する住民、避難を続ける人...。それぞれの道を歩む被災者の思いを伝える。
浪江町樋渡にある朝田木材産業社長の朝田英洋さん(49)は、昨年11月から準備宿泊などを利用し会社近くの自宅から通勤している。避難指示が解除されれば、避難先の福島市から単身で自宅に戻るつもりだ。
社内で町内から会社に通っているのは朝田さんだけ。帰還を望む従業員はいる。しかし、「傷んだ住宅の修繕が済んでいない」「高齢の家族の介護が必要」「子どもが通う学校が再開していない」-などさまざまな理由が帰町を阻む。
朝田さんの妻(49)と長女(18)は東京で避難を続けている。実際に会えるのは1カ月に2回程度だ。普段はインターネットを使ったビデオ通話で会話を交わす。寂しい気持ちはあるが、「自分が生まれ、結婚して子どもを授かったのが浪江。まずは自分が戻り、いずれは家族や他の町民が帰ってこられるような道筋を付けたい」と語る。
会社は平成26年2月に再開した。100年を超える歴史を持つ材木業の四代目として、命脈を絶やしたくなかった。原発事故の風評の影響で取引が減少するのを予期し、再開と同時に建設会社も設立した。除染事業などを通じて復興に寄与するとともに、経営の安定につなげた。
木材の取引量は予想通り大きく減ったが、今後は県が町内で実施する予定のCLT(直交集成板)事業への参入を計画している。事業者の努力だけでは限界があると感じているが、「まずは浪江町を盛り上げることで、双葉郡全体の復興につなげたい」と固く誓っている。