【浪江】田中昭成さん 73 生活環境充実願う

二本松市の災害公営住宅で避難生活を送る浪江町川添の大工田中昭成さん(73)は「古里に愛着はあるが、現状では帰還できない」と複雑な胸の内を明かす。
町内で生まれ育った。中学卒業後の15歳で大工となり、50年以上町内外の現場で仕事に励んできた。東日本大震災、東京電力福島第一原発事故前は自宅に妻スエ子さん(68)、長男夫婦、孫3人の合わせて7人で暮らしていた。
震災後は町内津島や福島市、新潟県、東京都など県内外の10カ所近くを点々と避難した。当初は7人一緒だったが、長男夫婦と孫は東京で生活を始め、昭成さんとスエ子さん夫婦は二本松市の借り上げ住宅に移った。
「避難指示が解除されたらすぐに古里に帰還する」と夫婦で強い意志を持っていた。ただ、避難生活が長引くうちに浪江での生活に不安を持つようになった。
町に戻っても病院や買い物は南相馬市などに足を運ばなければならない場合もある。東京の孫に会いに行くのにも二本松市にいる時よりも長い時間がかかる。近所の人がほとんど戻らない中、本当に生活できるのだろうかと疑問を抱く。
いろいろな事情を考慮し、避難指示解除に合わせて帰還するのは難しいと判断した。いずれ状況が変わった時に帰りやすいようにと、昨年12月に市内の災害公営住宅に引っ越した。
浪江にいた頃は当たり前だったことが最近、宝物のように思えてきた。海岸で見る初日の出、請戸漁港の出初め式、近所の神社での初詣や盆踊り...。「もうあの時は戻ってこないのか」と、ふと考えてしまう。
町の努力で上下水道や電気などの生活基盤は整備されつつあるが、日常生活に必要な物資がある程度は町内で調達できる環境にならなければ帰れない。
「可能なら古里に戻りたいという思いは町民みんな同じはず。町が県や国と連携してさらに生活環境の整備を進めてほしい」と願っている。=おわり=