(8)【第1部 宝を生かす】室原真二さん(下) 五輪機に国際大会 「海とともに生きる」

東京電力福島第一原発事故の影響で、大勢のサーファーや海水浴客でにぎわっていた南相馬市の北泉海岸から人影が消えた。県サーフィン連盟理事長の室原真二(51)も、大好きな北泉海岸でのサーフィンを自粛した。
東日本大震災の津波で犠牲になった仲間やその家族の気持ちを考えると、とても海に入る気持ちにはなれない。北泉海水浴場も閉鎖され、海に近づく人はめっきり少なくなった。生きる喜びを与えてくれた海が、多くの貴い命を奪った事実に打ちのめされた。これから、海とどう向き合えばいいのか-。自問自答を繰り返した。
居住地の市内小高区が避難区域に設定され、福島市に避難した。震災発生から約四カ月後、小高区で経営していたサーフショップ「M.S.P」も福島市松川町の工業団地に移転した。生活の一部だった波乗りから離れ、生きる目標を失いかけた。北泉海岸の思い出を心の奥に閉じ込めたまま、時を過ごした。
震災発生から二年が経過した二〇一三(平成二十五)年三月、県サーフィン連盟が北泉海水浴場で開いた慰霊祭で、当時の北泉行政区長に声を掛けられた。「海に、にぎわいを取り戻してほしい」。心が動かされる。海に再び人を呼び込みたいとの思いが湧いてきた。
避難指示が解除された二〇一六年に小高区でサーフショップの営業を再開する。まず海岸をきれいにしようと、仲間と一緒に海辺を清掃した。独自に海水の放射性物質検査に取り組み、安全性を発信した。日本サーフィン連盟の協力で全国大会を開催できるまでになった。
今夏の東京五輪では、サーフィンが新種目になる。競技の魅力を発信する好機と捉え、昨年一月に小高交流センター内にサーフショップを開いた。五輪の開催時期に合わせ、北泉海岸で国際大会を開きたいと計画を練っている。
サーフィンで北泉海岸を訪れた人が、地元の民宿に泊まる仕組みづくりを市に提案しようと考えている。海の魅力だけでなく、津波の恐ろしさも伝えていかなければとの思いも強くする。震災と原発事故を経験してもなお、海は地域の宝だと思う。「世界中の人に足を運んでもらえれば、地域が元気を取り戻す一歩になる」。サーフィンの聖地完全復活を目指し、これからも海とともに生きる。(文中敬称略)