
東京電力福島第一原発事故に伴い全町避難が続く双葉町の山林には、地域の歴史や人々の暮らしを伝える遺跡が点在している。中には子どもたちの地域学習の場になったり、住民の憩いの場だったりした場所もあったが、今その光景は見られない。
二〇二〇(令和二)年三月に新駅舎が供用開始になったJR双葉駅から常磐線沿いに南に約四百メートルの場所に、線路を挟んで標高約四〇メートルの二つの山が見えてくる。山中には、かつて地域を治めていた標葉氏が建てたとされる新山(しんざん)城跡が残されている。
一三三一(元弘元)年に標葉隆連によって築城された平山城で、一四九二(明応元)年に相馬氏の手に渡り、一六一一(慶長十六)年に廃城となるまで防衛の拠点として使われた。双葉町史によると、線路の東側の山に本丸があり、西側は二の丸のような機能を果たしていた。攻めてきた敵が容易に上れないようにする空堀や、土塁などの跡を今でも見ることができる。
山には「小鳥の森」と呼ばれる遊歩道や遊具のある公園、神社などがある。原発事故発生前、双葉北小や双葉南小の児童が地域学習で訪れていた。遺跡の由来をはじめ、土塁の役割などを学び、地域の歴史に理解を深めていた。
元双葉町歴史民俗資料館学芸員の吉野高光さん(62)は原発事故発生前、子どもたちに新山城跡を案内していた。「児童は興味深い様子で学んでいた。住民が散歩などを楽しむ場所でもあり、地域での知名度は高かった」と振り返る。
新山城跡は特定復興再生拠点区域(復興拠点)内にある。二〇二〇年三月に立ち入り規制が緩和された。遺跡の一部や遊歩道、公園などは除染済みだ。だが、雑木や雑草が生い茂り、手入れされていない。「歴史を伝える場所が荒れた状態なのは悔しい」
双葉町は六月に復興拠点の避難指示解除を目指している。吉野さんは「新山城跡は町民の心のよりどころ。新たに移住してくる人にとっても地域の歴史を知る手掛かりになる」と活用を訴える。
森林は住民の暮らしの糧になるだけでなく、心の安らぎも与えている。西会津町では芸術活動を通した復興の取り組みが続いている。