今を生きる 古里で再び新聞配達を 散歩で健康維持 交通安全お守り作り続ける

相馬市の避難先で交通安全お守りを作り続ける永沢さん

■飯舘から相馬に避難永沢清さん(91)
 飯舘村飯樋地区で約50年にわたり新聞配達を続けていた永沢清さんは東京電力福島第一原発事故を受け、相馬市の民間借り上げ住宅で避難生活を送っている。「1日でも早く村に帰りたい。戻ったら新聞配達を再開し、近所の人との茶飲み話も楽しみたい」。11月1日には92歳を迎えるという高齢ながら、万歩計を身に付けて連日の散歩を欠かさず、健康維持に気を配っている。
 永沢さんは農業や建築業の傍ら、親の代から新聞配達に携わってきた。配達の中継拠点として自宅には福島民報などの地元紙や全国紙、スポーツ紙約250部が届いていたという。近所の30軒余が担当で、90歳を超えてなお現役で歩いて配っていた。
 原発事故のため6月中旬、息子夫婦とともに相馬市に移った。同居していた孫は村内の工場で働き続けるため福島市のアパートで暮らし、家族は離れ離れに。「戦時中でもないのに、まさかこんな目に遭うとは。原発事故さえ無ければ...」と悔しさをにじませる。
 長年、小さな草履型の交通安全お守りを作り、村内の新入児童らに贈ってきた。避難生活となってからも作り続け、約4カ月で約200個が仕上がった。
 散歩がてら毎朝、近所のコンビニエンスストアに足を運び、新聞を購入して記事に目を通す。今は村内の除染の行方が気掛かりだという。「長くかかるようでは村が崩壊してしまう。1日でもみんなが早く戻れるよう国を挙げてきっちりとやってほしい」と望んでいる。