【共生の功罪8】恩恵 町民に還元 除染、雇用を懸念

 震災と原発事故で大熊町民の4割弱に当たる約4300人が会津若松市周辺で暮らす。「これ、間違ってるよ」。仮設住宅に入った町民が上下水道の請求書を見て、慌てて検針員を追い掛けた。町内の自宅で支払っていた金額に比べ倍以上だった。検針員にミスはない。理由は別にあった。
 前町長の志賀秀朗(80)は昭和62年に初当選すると、原発関連の税収や交付金をどう活用するかに心を砕いた。「町民は家族」。原発立地の恩恵を全ての町民に直接、還元した。その1つが上下水道料金の引き下げだった。

■豊かさに甘えず
 志賀は任期中、職員が財源の豊かさに甘えることを許さなかった。「自分の家の金と同じく考えろ」。予算査定のたび繰り返した。
 「金が足りなければ、電力に寄付をお願いする」。原発が立地している双葉郡内には、そんなあしき風潮が知らず知らずのうちに醸し出された。だが、志賀はこれを邪道と嫌った。文化センター、図書館、保健センター...。手掛けた「箱もの」は全て積立金などを蓄えてから事業に着手した。「東電から事業費に対して直接、寄付があったのは総合体育館くらい。自分からお願いしたことはない」と振り返る。
 東電はかつて働いた古巣だが、その一方で町長就任後は住民を守る立場を貫いた。「共存共栄には安全運転が何より大事なんだぞ」。東電に厳しい声を何度も発した。
 平成19年9月、5期の任期を全うし、身を引いた。手堅い財政運営は町に約100億円もの財政調整基金を残した。県内各自治体が人口減に悩まされる中、大熊町は志賀の就任当初のころより約1000人も増えた。

■命からがら避難
 3月11日の強い揺れから数十分後。志賀は原発から1キロ余りの自宅で、バリバリという音を聞いた。外に出ると、津波が約30メートル先に迫っていた。ちょうどその時、家族が車で家に戻った。車に乗せられて、命からがら逃げ出した。
 福島市や神奈川県などを転々とし、今はいわき市のアパートに避難している。「まだ事故の原因が分からないから、東電を『バカヤロー』と叱る気にもなれないし、自然には勝てないという気持ちもある」
 気掛かりなのは、振り出しに戻された町の将来だ。一向に進まない除染、原発に代わる雇用...。「会津若松市に避難している住民は、これからの冬場が大変ではないか」。そんな心配も頭をよぎる。
 「窮屈だろうが、もう少し辛抱して、みんなで一緒に帰ろう」。志賀はそう願い続けている。
(文中敬称略)