【立地の遺伝子9】増設の必要性訴え 脱原発に複雑な思い

 元参院議員佐藤静雄(80)=福島市=は突然の申し出に驚きを隠せなかった。昭和60年、原発立地の窓口である県企画調整部長を務めていた。
 「東京電力に連れて行ってほしい」。依頼主は東電福島第一原発5、6号機が立地している双葉町の町長、岩本忠夫。昭和40年代後半、双葉郡選出の県議として、原発反対を唱える急先鋒(せんぽう)の1人だった。「やっぱり、原発の反対論だけで町長は務まらない。東電と話をしてみたいんだ」。この年、町長に就任したばかりの岩本は東電との間合いを探り始めていた。
 佐藤は知事松平勇雄の了解を得て、東電会長平岩外四、社長那須翔ら幹部との橋渡しを引き受けた。
 町の財政は電源三法交付金や固定資産税などで潤った。町民は東電や関連企業に働く場を期待した。原発は町づくりに欠かせない存在となっていた。だが、運転開始から年を経るにつれ、期限付きの交付金は支払われなくなり、固定資産税も減価償却によって目減りした。
 岩本が2期目の任期に入っていた平成3年、町議会は福島第一原発の増設を決議する。岩本が先頭に立って町は7、8号機増設の要望を始めた。

■もんじゅの教訓

 双葉町議会の増設決議から2年後。佐藤は参院予算委員会で質問に立った。「21世紀を展望すると、国家・国民が残っていくためには、どうしてもエネルギーとして原子力を利用せざるを得ないと思う」。原発増設の必要性を訴えた。
 佐藤は推進一辺倒ではなかった。科学技術政務次官を務めた平成7年、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)でナトリウム漏れ事故が起きた。もんじゅを運転する動力炉・核燃料開発事業団(動燃)などの情報隠しに批判が集中した。佐藤は原子力への信頼回復のために徹底した情報公開などを強く求めた。

■警戒区域に墓

 佐藤の古里、小高町(現南相馬市)は原発事故後、立ち入り制限のある警戒区域に指定された。
 太平洋に近い高台に、かつて過ごした実家と墓がある。「墓参りにも行けない。ご先祖さまに申し訳ない」。「貧しい」とからかわれた相双地方の原風景を思い起こしながら、原子力に関わった人生を振り返る。
 県は30日、県内にある原発全ての廃炉を前提に、復興計画をまとめる方針を示した。佐藤は「県民感情からすれば、すぐに脱原発をするべきという考えは理解できる」と受け止める。その一方で「今すぐに国内全ての原発を止めたら、われわれの暮らしや雇用、日本の産業はどうなるのか」との不安もよぎる。
 原発に後戻りできない状況は分かっている。同時に廃炉の先にある地域の将来を十分に描けないもどかしさも募らせる。(文中敬称略)