【立地の遺伝子10】大風呂敷の青写真 県、発展へ頼り続ける

衣替えしながら策定されてきた総合計画。原発立地による地域振興は柱であり続けた

 知事佐藤雄平(63)は30日昼前、県庁で来客を待った。県内の原発全ての廃炉を表明する記者会見が約2時間後に迫っていた。
 相手は県総合計画審議会の正副会長。佐藤が受け取った答申は、県政運営の道筋を示す県総合計画「いきいき ふくしま創造プラン」(平成22~26年度)の見直しだった。答申文からは現計画にある「原発の立地調整」の文字が消し去られていた。
 「長計」と呼ばれた県総合計画の始まりは半世紀近く前の昭和40年度にさかのぼる。知事の交代や時代の移り変わりに応じ、「県勢振興計画」「長期総合計画」などの名称を冠にしながら衣替えを重ねてきた。
 答申は、歴代知事や県職員が県土発展の柱に掲げてきた原発立地への「決別宣言」だった。

■信じるしかない
 元県職員新妻威男(77)=福島市=は昭和44年、同僚の企画調整課員と一緒に市内の高湯温泉に何日も泊まり込んだ。「県勢長期展望」(45~60年度)の素案作りだった。
 職員はそれぞれの担当分野を朝から書き進め、午後5時になると互いに持ち寄っては内容を擦り合わせた。
 約1300万キロワットの原子力発電を可能とする―。向こう十数年にわたる期間内に、双葉地方に大規模な原発基地を建設する構想が出来上がった。東京電力は既に福島第一原発の建設を始めていた。だが、1号機の運転開始の2年近く前で、県内での原発の発電実績はゼロだった時期だ。
 県が描いた青写真は、最終的に福島第一、第二原発に完成した原子炉10基の総出力909.6万キロワットと比べ、1.5倍に当たる。福島第二原発と同じ規模(出力440万キロワット)の原発を、まるで「福島第三原発」として追加するような大風呂敷を広げる計画だった。
 時代は高度成長の真っただ中で、首都圏を中心に国民も産業界も電力増強を欲した。そして、県は原発立地を県土開発の起爆剤の1つに位置付けた。
 新妻は後に生活福祉、総務の両部長、教育長を歴任した。「本県は原発に頼り続けた。県として東電を信じるしかなかった」と思い起こす。

■曖昧さ
 新妻が関わった計画に続く「長期総合計画」(53~60年度)も原子力、火力、水力の各発電所の建設促進を掲げた。担当者は「当然のように計画に組み込まれた。特に多くの議論をした覚えもない」と振り返る。
 以後、4回にわたって作られたどの計画でも、発電所による地域振興の記述が消えることはなかった。
 平成11年9月、茨城県東海村でJCO臨界事故が発生し、原子力への信頼が揺らぐ。「原発立地を進めるばかりでいいのか」。そんな意見が県幹部の大勢を占めるようになった。「新総合計画うつくしま21」(13~22年度)と次の現計画に「建設促進」の文字はない。
 代わりに「立地調整」が盛り込まれた。県としては一歩引いた形を取ったが、見方によっては、原発に積極的とも、消極的とも受け止められる、曖昧な表現だった。(文中敬称略)