【「前線基地」の苦悩6】菅氏の怒鳴り声響く「総理 落ち着かせろ」

福島第一原発で、東京電力幹部(右側)らから説明を受ける菅首相(左から2人目)=昨年3月12日午前(内閣広報室提供)

 停電が続いた大熊町のオフサイトセンターに明かりが戻った。国や県の現地対策スタッフは間借りしていた隣の県原子力センターから次々に移動した。昨年3月12日午前3時17分。震災発生から半日がたっていた。
 経済産業省原子力安全・保安院で原子力発電検査課長を務める山本哲也は、東京電力福島第一原発の状況把握に全力を挙げた。福島第一原発は地震と津波で全ての電源を失った。復旧の見通しは立たない。原子炉を冷却するための電源確保が最優先の課題だった。外部電源車をヘリコプターで運ぼうとしたが、重過ぎることが分かった。電源車が発電所に着いても、電源車と発電所の機器をつなぐ低圧用ケーブルがない。想定外の事態が連続する中で、危機の回避に向けた緊迫の議論が続いた。
 騒然とした雰囲気の中、現地対策本部長の池田元久に連絡が入った。首相の菅直人が福島第一原発を視察する、との知らせだった。

■釈明
 池田は賛成できなかった。今、起きているのは原発事故だけではない。地震と津波で多くの住民や家屋が被害を受けている。人命救助には、生存率が大きく下がるという発生後72時間までの対応が決定的に重要だ。
 通信網に不安が生じている現地に首相が来れば、逆に首相に情報が入りにくくなる。指揮官は通信手段が整っている東京で原発事故の対応に当たるべきだ-。
 池田は、この考えを保安院審議官の黒木慎一を通じ東京へ伝えた。「後で聞くと、黒木は経済産業省緊急時対応センター(ERC)に伝えたが、そこで止まってしまったようだ」
 池田の記録によると、12日午前7時10分すぎ、池田は黒木、副知事の内堀雅雄らと福島第一原発のグラウンドで菅、原子力安全委員長の班目春樹を出迎えた。バスに乗り込むと、菅は隣に座った東電副社長の武藤栄と話し始めた。「なぜベントをやらないのか」。そのように聞こえたが、口調はきつい。怒鳴り声ばかりで、そばにいる池田にもよく分からなかった。
 発電所員が詰める免震重要棟に着くと、交代勤務明けの作業員たちが大勢いた。「何のために俺がここに来たと思っているのか」。菅の怒声が響いた。「一般作業員の前で言うとは...」。池田は驚き、あきれた。
 会議室に入り、武藤、第一原発所長の吉田昌郎から事故状況を聞いた。菅は、ここでもベント実施を強く求めた。発電所内の線量の高さなどが障害となって、作業は難航していた。厳しく問い詰められた吉田は「決死隊をつくってでもやります」と答えた、という。
 会議室を出た菅は、池田の背に手を置き「頑張って」と激励した。しかし、池田は先行きが心配になった。「おい、総理を落ち着かせろよ」。思わず、同行していた首相補佐官の寺田学に言った。そして、居合わせた関係者に「不快な思いをさせた」と釈明した。

■増える要員
 菅の視察が終わり、オフサイトセンターに戻った池田は、午前9時から第1回機能班責任者会議に臨んだ。このころ、オフサイトセンターにいたのは約40人。しかし電源が回復したことで徐々に要員が集まり、程なく140人に増えた。だが、好転の糸口は見えず、長期戦は確実だった。
(文中敬称略)