若者が戻れる古里に

プレハブの事務所で鈴木さん(左)を囲み、地域の復興策を話し合うメンバー

■集団移転目指す いわき・豊間の復興協議会
 太平洋に面したいわき市平豊間地区に冷たい海風が吹き抜ける。津波で8割の家屋が全半壊し、地盤沈下も起きた。区長の鈴木徳夫さん(76)は更地のままの光景に目をやり、言葉に力を込めた。「安全で安心な古里を次の世代に残す」

■―独自に青写真
 元漁師の鈴木さんは北洋サンマ漁船の通信長も務め、半世紀にわたって海とともに生きてきた。数カ月に及ぶ洋上生活の疲れを癒やしてくれたのが古里の港だった。
 津波で大きな痛手を受けた郷土を再興しようと、地区内の有志がふるさと豊間復興協議会をつくり、地区民の集団移転を目指している。鈴木さんを会長に60~70代の6人が中心となり、震災後からほぼ毎日、プレハブの事務所に通う。
 ボランティアで訪れた大学教授らの助言を得て昨年4月、青写真を市に提出した。沿岸部から内陸よりの2カ所に家屋を移転し、新しいまちをつくる構想だ。
 市の反応は鈍かった。約600世帯2000人の地区民は大半が地区外に避難している。「何人戻るのかがつかめない」。担当者は集団移転先を1カ所に絞るよう求めた。当時はまだ集団移転に対する国の方針が不明確で、市もどう対応していいのか判断がつかなかった。
 地元に戻る意思があるかどうかを確認してから、市を説得しようと考えた。しかし、避難した住民の名簿がなく、入り口でつまずいた。

■―個人情報の壁
 「名簿を見せてほしい」。事務長の渡辺博之さん(70)らが何度も避難所に通い、掛け合った。しかし、その都度、個人情報の壁に阻まれた。「地区民の安否さえ明かしてくれないのか」。渡辺さんは行政の対応に疑問や怒りを感じた。人づてに居場所をたどり、大半の所在地や連絡先を把握するのに半年余りを要した。
 周辺は海水浴場や塩屋埼灯台がある市内有数の観光地で、水産業も盛んだった。「できれば地元に戻って暮らしたい」。避難者の声を集めて交渉を重ねた結果、2カ所への集団移転が市の復興事業計画に盛り込まれた。ただ、巨額の費用をどう確保するのかなど課題は山積している。

■―記した誓い
 鈴木さんは震災後、日記を付け始めた。しばしばめくるページがある。昨年6月、津波の犠牲者・行方不明者計85人の地区合同葬で立てた誓いが書き留めてある。「大震災 子孫代々させてならず 仏への誓い 高台への故郷再建 岩も砕ける願いとどけ」
 地区外の学校を間借りしていた地元の小、中学生が今春、豊間小での合同授業を始める。鈴木さんはその日を待ちわびる。「若い世代が戻らなければ地域の再生はない」。この思いが新しい古里づくりへの長い道のりを支える。

【集団移転】
 政府の第3次補正予算と復興特区法の成立により、東日本大震災からの復興を目指して住宅地を高台や内陸部などに移転する際、国の補助が大幅に拡大された。自治体が国の補助を受けて用地を取得・造成する。適地選定が大きな課題となる。
 また、住宅建設費は原則自己負担となる。資金に余裕がない場合は自治体から借りて使用料を払う。集団移転を進める上では、対象地域の住民の合意形成も不可欠だ。