【第1部 安心の尺度】(8)遅れた避難 娘の将来を見詰めて

「ミッキーやダッフィーと写真を撮ろう」
東京電力福島第一原発事故で飯舘村比曽行政区から福島市飯野町の仮設住宅に避難している主婦・菅野明美(51)は、車の中ではしゃぐ長女愛莉(あいり)=(9つ)=の姿に思わずほほ笑んだ。
正月二日を四畳半二間の仮設住宅で過ごし、三日朝に夫広寿(50)が運転する車で千葉県浦安市の東京ディズニーランドに向かった。二泊三日の家族三人水入らずの旅行だ。
園内は無邪気に乗り物を楽しむ子どもであふれていた。愛莉の声も弾んだ。ただ、周りの子どもと違うのは、小旅行の目的が放射線の影響を少しでも減らすことを兼ねていた。
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平成二十三年七月に茨城県東海村の日本原子力研究開発機構で受けたホールボディーカウンター検査で、愛莉から微量の放射性物質が検出されて以来、明美は思い悩んでいた。「どんな生活をさせればいいのか」。放射性物質に関する書籍を三冊買い込み、読みふけった。
「県外に避難すれば良かったのか…」。知人のいない不慣れな県外への避難にためらい、広寿の仕事の都合を優先させた。県内にとどまった判断を後悔することもあった。
明美は、学校が休みになると、娘をなるべく県外に連れ出すようにした。放射線の影響がほとんどない地域で数日過ごすだけでも健康のためには良いと考えたからだ。
醗酵食品や海藻が放射性物質を取り除くのに効果があると聞くと、ヨーグルトやワカメ、みそ汁を食べさせた。
明美が暮らす福島市飯野町は放射線の影響が少なからずある。仮設住宅の室内の空間放射線量は昨年一月、高い所で毎時一・七マイクロシーベルト、低い所で〇・五マイクロシーベルト。四畳半二間とキッチンなど住宅内の放射線量を隅々まで測り、最も低い部屋で愛莉を寝かせている。
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「愛莉の将来にどんな影響が出るのかと悩み始めるときりがない」。原発事故から時間がたつにつれ、明美は気持ちを切り替えられるようになった。
これまで読んだ本に書いてあった。「食事に注意し、こまめに健康診断や検査を受けさせれば大丈夫」。悩むより、放射線の影響を減らすよう普段の生活に注意することのほうが重要だと自分に言い聞かせる。
自宅がある飯舘村の比曽行政区は避難区域の再編で、「居住制限区域」になった。これから住民の帰還に向けて国の本格除染が始まる。だが、明美はどんなに除染が進んでも村には帰らないつもりだ。今後の生活拠点は決まっていない。ただ、愛莉が望む場所で再出発したいと考えている。
「避難が遅れた過去を悔やんでいても何も進まない。親としてこの子に何ができるかを考えよう」。明美は前を向いて生きようと心に誓っている。(文中敬称略)