【第1部 安心の尺度】(13)心の差 孫を待つ日々一人酒

福島市の自宅で米沢市に避難している孫の写真を見詰める益雄
福島市の自宅で米沢市に避難している孫の写真を見詰める益雄

 福島市野田町の整体師・松井国彦(45)が山形県米沢市の借り上げ住宅に整体院「縁」の米沢分院を構えた後も、妻知美(43)の父・長谷川益雄(76)は福島にとどまった。

 「これは一番上のお兄ちゃん。これは末っ子の絵里ちゃんね、三つになったばっかりだな」

 益雄は、茶の間に飾られた五人の孫の写真に目尻を下げた。「これが次男の新君。抱っこしても泣かれなかったんだ。孫で唯一ね」…。写真の中でほほ笑む一人一人の顔を見詰めた後、小さくため息をついた。「原発事故さえなければ、こんなことにならなかったんだ。こんな老いぼれにも影響があるとは夢にも思わなかったよ」

 孫五人は、福島から北西に約四十キロ離れた米沢に避難している。娘の知美と夫の国彦は週四日、益雄が暮らす木造住宅にやってくる。一室にある整体院「縁」を開けるためだ。

 娘夫婦の顔を見ると、気持ちが少しだけ和らぐ。それでも、一人で家にいる時間が長く感じるようになった。「孫たちが家の中で騒ぎ回るドタバタが聞こえないんだ。気持ち悪いくらいにシーンとしてしまった」

    ◇    ◇

 東京電力福島第一原発事故直後、農作物などから相次いで放射性物質が検出され、摂取、出荷が制限された。知美は子どもたちの内部被ばくを心配し、益雄が趣味で栽培した野菜を食卓に並べなくなった。

 今でこそ検査態勢が整ってきている。だが、当時、益雄は目に見えない放射性物質の影響がどれほどなのか測りかねていた。「しばらく食べない方がいい」と言う知美を信じるしかなかった。「あの時の寂しさは忘れられないよ」

 吾妻山の麓で栽培した減農薬野菜は、白菜も大根もブロッコリーも甘味が強く、知美や孫から評判だった。十年近く前に先立たれた妻の美智子はよく漬物にしてくれた。収穫した野菜を食べる家族の笑顔は益雄の何よりの楽しみだった。それが原発事故で根こそぎ奪われた。

 事故から七カ月近くたった平成二十三年十月三日。知美は孫を連れて米沢に自主避難した。娘から「米沢に行くことにしたから」と聞かされたのは避難の直前だった。「よりによって雪国か」と思ったが、賛否は口にしなかった。「娘らが悩んだ末に決めたことだから、とやかく言えないし、言ってはいけないと思った」

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 昨冬、知美に連れられて何度か米沢に行った。「こんなに雪の多い所では暮らせない」と思うばかりで、住み慣れた福島に戻ってくると妙に落ち着いた。

 娘夫婦が来ない日中は散歩をして、コンビニエンスストアでおにぎりやサンドイッチを買って食べる。夜は日本酒で晩酌をする。「三日で一升瓶が空くようになった」。いつの間にか量が増えた。知美や国彦が米沢に戻る際、飲み過ぎないようにと注意されることが多くなった。

 昨年の大みそか。娘夫婦が孫五人を連れて米沢から戻ってきてくれた。孫に囲まれ、つかの間のにぎわいがうれしかった。「ずっと米沢で暮らすのか」。知美に切り出そうとしたが、のみ込んだ。

 娘夫婦との付かず離れずの距離を保つため、益雄なりに気を使う。言いたくても我慢している言葉がある。

 「いつか福島に戻ってきてほしい」

(文中敬称略)